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【1987年8月】山陰の旅、そして様変わりした急行だいせん

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混雑した車内で立っていた人たちはここ倉吉で一人残らず降りた。

こうして、まるで別の列車になったかのような「急行だいせん号」。
すっかり落ち着いた車内で一転して静かな夜が始まった。

倉吉駅を出てすぐ、左側に波立つ水面が見えた。
あれっ?また海に出たん?と一瞬思ったが、それは東郷池だった。
停車した松崎駅の手前と向こうでは線路から東郷池が見え隠れ。
向こう岸の温泉ホテルの灯りが奇麗だったがすぐ見えなくなった。
それと同時に日付が変わり、最後の夜はついに最終日に突入した。

急行だいせん号は先ほどまでと一変して通過駅が増え、
わずかな照明しか点いていない小さな駅を次々スルーした。
この先、海はもう見えないのかなぁと思っている中、気付いたら鳥取駅到着。

0:39。定刻通りに鳥取駅出発。静かに、灯りが煌々と照るホームを出た。
少し眠かったが、そんな目をこすりながら僕は車窓を追った。
すると、一旦内陸部に向かった線路は再び海へと大きく向きを変えて行き、
岩美駅を過ぎてしばらく経った頃、また日本海の漁火が目に入ってきた。
「イカ釣り漁船かな」 そうつぶやきながらずっと眺めていた。

列車はその後、浜坂駅に着いたが駅は急行だいせんのホームだけが明るく、
別のホームに旧型客車の編成がたたずむ姿をぼんやり映していた。

列車はまもなく出発し、僕がどうしても見たかった余部鉄橋に向かっていった。
余部鉄橋・・・、半年前の年の暮れ、和風客車の「みやび」が
強風にあおられて転落する事故が起きた場所。

昨年の夏の旅行の際にはこの場所自体気にも留めずに通っていったが、
今年は「どんな鉄橋なのか確認しておきたい」と思い、眠い目をこすりつつ
この場所を通過する時を待った。

「余部鉄橋まだかな・・・・まだかな・・・・」 そう思って待ち続けていたが、
心地よいレールの響きが、何とも子守唄の様に感じ始めた。まずい・・・。

その時だった。線路の音が大きく響き、急に轟音になったかと思ったら、
その一方で、突然海の景色が開けてまたもや漁火が見えた。
鉄橋を渡りながら、視界をさえぎるトラスもないことに一抹の不安を感じ、
それでも夜の海の景色の美しさに感動した。

それからしばらく「和風列車みやび」事故の事を考えていた。
鉄道ファンとして貴重な車両を失ったこともだが、カニ工場の犠牲者の事も。

やがて香住駅に到着し先日の天文気象部の合宿地「竹野」が近づいた。
ほぼ真っ暗な竹野駅を通過する時まではなんとか起きていたが
興奮を覚えながらも眠気には勝てず、睡魔に負けて僕は眠った。

そして次に目ざめたのはちょうど福知山駅に着く直前だった。
野生の感とでも言うのだろうか。時刻は午前3時30分ごろ。
到着予定5分前だった。

深夜3時半の福知山駅。
急行だいせん号はこの駅に30分以上停車する。
だから多くの人が寝静まる中、今後しばらく訪れることのなさそうなこの駅を
もう一度しっかり目に焼き付けておこうと思い、途中下車することにした。

改札口のある駅本屋だけが煌々と明るく、到着ホームには最低限の灯りだけ。
確かに、こんな真夜中にこの田舎の駅で降りる人はほとんどいない。
最低限の作業が出来さえすればいいのだろう。

このたびも旧型客車は健在。ゆったりと休んでいた。
「もしかしたら先日竹野で乗った奴かな」と思ったが、その確率は高くない。
まだ少なからず活躍していたのだから。

とはいえ、この風景をいつまで見られるのかなぁ。との思いでいっぱいだった。
そうして思いを馳せているうちに福知山駅での30分は過ぎていった。

午前4:08。この日の福知山駅の始発列車?急行だいせん発車。
僕はこの夜にやりたいと思っていたことすべてをやり終えたので、
もう何も思い残すことなく最後の眠りについた。

言うまでもなく、目ざめたのは大阪駅到着を案内する車内放送でのことだった。
乗客たちは荷物を整えて降りる準備を進めていた。

6:26。まだそれほど人が多くない10番線ホームに、
急行だいせん号は無事に到着した。

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