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【1987年8月】山陰の旅、そして様変わりした急行だいせん

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さて、ここに来た往路の悪夢を思い、帰りは極力道路標識を見ない様に意識。
そう、僕はひたすら自転車をこぎ、進むことに集中した。
すると意外にも20分かからずに大社駅まで戻ってこられた。

ただ、途中で一畑電鉄の駅前を通った時には、ちょっと戸惑いを感じた。
そんなところに駅があるとは思いもよらず、
「大社駅ってこんなんじゃないよな。もしかして裏口?」なんて思ったりした。
しかし、間違いにすぐ気付き、そこから少し行ったところにJR大社駅があった。

思いのほか早く着いたので、帰りに乗る156D列車の出発まで時間がある。
自転車を分解して輪行袋に詰めた後、じっくり駅舎の天井や造りをを眺めた。
「ちょっと昔は急行が走ったこの路線まで廃止対象になるなんてなぁ。」
この時、鉄道旅行の行き先がまた一つ姿を消そうとしていた。

さて、帰りの156Dがやってきた。155Dがそのまま折り返し156Dになる。
と、持っていた時刻表をよく見ると一つ気づいたことがあった。
朝から晩まで、たった1つの編成を折返し運転するだけで、
大社線のすべての運用をまかなえてしまうではないか。

それならなおのこと、車両保全費用も1編成分だけと低くてすむのだから、
廃止せずに残しておいても良いのではないかと思ってしまった。

終端駅・大社を後にして156Dが出雲市に向けて走り出した。
わずか3つの駅しかない大社線をちょっとでも脳裏に焼き付けようと、
僕は窓を開けてあたりの景色をじっと眺めていた。

しかし、とにかく田舎町を絵に描いたような田園風景がただただ広がる。
田舎道にポツリポツリと建っている家屋たち、そして軽トラック。
そしてたまに見えてくる郵便局・農協の倉庫とわかる建物など。
そんなわけで「田舎という印象」以外はなかなか印象に残るものがなかった。

そんな中、数少ない記憶の一つは「荒茅駅のホーム」だった。
けっして特別ではない鉄道風景。
しかし、枯れススキが揺れ、山陰に訪れた、一足早い秋のイメージ。
今でも残っているその印象は僕にとっての大社線風景そのもの。

出雲市駅に着いた156Dを降り、僕はゆっくり山陰本線の上り線に向かった。
米子行きの電車は出てしまった後だったが、僕にとってはそれが幸いした。
それは、次に来る列車が客車編成だったからだ。

それでホームの屋根の支柱に輪行袋をくくりつけて、もう一度改札を出た。
「またこの駅のこの場所に来る日がいつか来るかなぁ」
そんなことをふと思った。
・・・それから17年後、訪れた僕を迎えてくれたのは新しくなった出雲市駅だった。

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