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急行いでゆ号◆データファイル(2024ー02)

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急行いでゆ号の簡単な解説

東京~伊豆急下田・修善寺を結ぶ急行列車として1966年3月~1968年9月30日まで活躍した。実際のところその歴史ははるかに古く、1949年10月1日から準急いでゆ号として走ってきた。その愛称は戦後の極めて早い時期から登場していた由緒あるものである。この路線は電化された時期がかなり早く、準急として走っていた1965年には急行型の153系が投入されていたため、ここでの急行いでゆ号は期間を通じて電車であった。常に高い需要があり、路線としては安泰と思われたが、列車相性の整理に伴い、急行伊豆と急行おくいずの2つが採用され、伝統あるはずのいでゆの名前はここで一旦途絶えた。

◆ それから6年半の時を経て、1975年3月に大阪~鳥取を結ぶ急行の名前として再登場した。これは新規設定された列車ではなく、それまで急行いなばとして走っていたものを愛称変更したものである。ダイヤ改正において、東京~米子を結ぶ寝台特急「いなば」が新たに設定され、名前が召し上げられたためである。この列車が走る沿線には、城崎温泉・湯村温泉などがあり、確かにいでゆと言う名前にそれなりにふさわしい運転間だと言える。とは言え、馴染むかなじまないかと言うのはまた別であり、いまひとつなじまなかった様である。わずか3年半で再び名前を変更することになり、急行だいせんとして再出発した。

◆ それから10年を経た、1988年3月に今度は東北地方に場所を移し快速列車の名前として採用された。女川・小田~鳴子・新庄を結んだ。→ 快速いでゆ号データファイル

 

 

 

 

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