【1986年3月】鉄分が力をくれた!~自転車琵琶湖一周の旅~ | 列車データ館
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【1986年3月】鉄分が力をくれた!~自転車琵琶湖一周の旅~

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中学校の卒業式を終え、クラスメート5人で思い出作り計画をした。

でも、お金がかかる鉄道旅行は高1の夏まで見送りと決めていたので、
最もお金をかけずにそれなりの距離を楽しめる旅行!ということで、
自転車旅行に出ることになった。

当然ながら、この旅行で鉄道を感じたのは部分的だ。
それでも所々で出会った列車たちは思い出深い。

さて、いわゆる卒業旅行。
僕たちの決めたルートは大阪・枚方の実家から京都へ、
そして琵琶湖東岸を北上して木之本、
そして湖西線沿いに南下する。

そう、びわこ一週自転車旅行だ。

1986年3月27日21:50。予報は雨。まだ降ってはいない。

それでも、この日以外にははみんなの予定が合わないので決行。
まずは京阪電車樟葉駅を右手に見ながら府道13号線を走る。

この位置から夜に樟葉駅を眺めたことはあまりなかったことに気付く。
左に見える淀川越しに16両編成の0系新幹線が走っているのが見えた。

当時は0系と100系だけだったので、2階建て車両のあるなしで夜も見分けられた。

八幡市駅に近い三叉路を左折、木津川、宇治川を渡る連続橋「御幸橋」を渡る。
そこからよく見える位置に京阪電車の鉄橋が掛かっている。

さて、自転車でこの「御幸橋」を渡った頃、つまり家から約20分ほどの所で、
心配していた雨がポツポツと降り始めた。

「いきなりやなぁ。まぁすぐ止むやろぅ」。

渡ってすぐ右手に京阪淀車庫がある。
僕達の自転車は京阪電車と平行する道路を、淀駅に近い納所、横大路と進み、
国道1号線を横切って京都外環道に入る。

この辺りからは京阪本線から離れ、京阪宇治線に接する道路だ。
京阪観月橋駅の横を走りぬけ、六地蔵駅の看板の灯りが見えた後、

北寄りに方向が変わる。しばらくして山科の地名が現れる。
新幹線のガードをくぐると再び国道1号線に出た。

国道を東にすすむ。京都東インターの入口を避けて逢坂山の坂道を登っていく。
京阪京津線の80形が回送されていくのが見えた。

しかし、そこでなんと第1回目のアクシデント!
メンバーの一人、敏之の自転車がパンクしてしまったのだ。

降りしきる雨の中、5人は足を止めてパンク修理に徹した。

ちょうど施錠された交番の入口のぼんやりした明かりの下での修理となった。
ちなみに、蛍光灯の明かりではなく、赤い玄関灯だ。はっきり言って暗い。
傘もない中、黒い大きなビニール袋でみんなが屋根を作り、何とか修理を終えた。

再び走り出し、逢坂山を超えて下ると、ついにびわ湖に出た。
僕達はびわ湖の東を北上して西に回って帰るので、まず栗東・草津を目指す。

ここから長い間、鉄道との接触がない。
そんなストレスからか(?)僕の自転車がパンクしてしまった。
僕のタイヤはチューブラータイヤで簡単に交換できるのだが、
雨で手がすべるため、なかなかリムにはまらなかった。

何とかやり終えて走り出そうとしたが、みんなコンディションとテンションが降下。
それで雨でみんな靴がずぶ濡れの中、光り輝くコンビニに入った。(迷惑だろうな・・・)

そこでレジ袋を多めにもらい、みんな靴下を脱いでかわりにレジ袋を履いて、
靴を履いて出発した。HOT SPARさんありがとう!

黙々と走り続けた後、午前2時半ごろようやく米原駅に着いた。
雨は一向に止む気配がなく、降り続いていた。

みんなはこの駅に付いた途端、休憩モードに入ってしまった。
ホット缶コーヒーを飲んだものの、伊吹山にほど近いこの場所の3月は確かに寒かった。

それでも、その寒さよりも疲労感が打ち勝ってしまうみんな。

その中でただ一人、休息よりも鉄分を欲しがる人が一人。そう、僕だ。
米原駅東口構内のベンチでみんな横になっていたのだが、
僕は何とかホームが見える位置を探し、いいポジションがみつかった。

そして、一人でその場所で休憩をとり、ホームを見つめた。
午前2時半から6時近くまで、4人は眠りこけていたが、僕は眠ってなどいられなかった。

何しろ、この時間帯と言えば上りブルートレインが次々やってくる時間だからだ。
残念ながら上り列車のホームはそこから遠い側になり、
しっかりと列車を観察することはおろか、判別さえ出来ないものが多かった。
でもそこそこ満足だった。

そうした中、僕を一番満足させてくれたのが、583系電車化されて間もなかった急行きたぐに だ。

季節列車となっていた急行立山の廃止と同時に、きたぐに が14系から電車化。
そのきたぐにの上り列車をここで見ることが出来た。
上り列車だが、東海道本線で言えば下り。
大阪行きの急行きたぐに号は、間近で見ることが出来た。

こうして僕は、みんなと共に休息をとることもなく、夜行列車の宴を楽しんでしまった。
はたして、体力は大丈夫だろうか・・・?

不安を抱えながらも記念にちゃっかり米原駅入場券まで買ってきた。

その後ゆっくりと、国道8号線を走り出した僕たち。
左に米原電車区を眺めながら坂を上り、信号を左へ。(左折8号線、直進21号線)

僕たちは身体が冷え切っており、まずは体温を回復することが必要だった。
だから疲労の溜まった身体にムチ打って早いスピードでこぎだした。
すると、意外なほど早く長浜駅に着いた。

やはり、明るくなってくると走りやすく、スピードにものりやすい。
そのまま僕たちは北上を続け、まだ降り続く雨の中、木之本へ。

メンバーの一人は以前にもこのコースを走っていたらしく、
朝食は奥琵琶湖ドライブインで採ると決めていた。
そこで食べたあったかいうどんのことは忘れられない。

体温をしっかり回復して、僕たちはまた自転車で走り出した。
国道8号線をまたすこし北上し、やがて左折して湖西を目指した。
目を上げると永原駅が見える。

そして、ちょっときつい坂を上ってトンネルにはいる。
狭いトンネルで、自転車などお構いなしにトラックが追い越してゆく。
何とか通り抜け、長い坂をびゅーっと下った時、ついに湖西国道161号線に出た。

距離的には全行程の中間地点は木之本あたりだが、
やはり湖西線を見ないことには「まだ東側」という感覚だった。
だからここでようやく「帰りの行程」という意識になった。

国道161号線を南下し始め、あっという間にマキノ駅に着いた。
その頃、カタカナだけの駅名と言えば、北海道のニセコと、ここマキノだけとして有名だった駅。

丁度そのマキノ駅の側を走る時にボンネットの485系雷鳥が通り過ぎていった。
雨が一向に止む気配すらなく、疲労がかなり来ている時にも、力をくれる鉄分となる。

この先の道では僕らと同様にロードレーサーに乗ったグループと、何度となくすれ違った。
「こんな雨の日に・・・」と思ったが、きっと相手もそう思っていただろう。

近江今津駅、和邇駅、びわ湖大橋、そして浜大津駅。
長い長い湖西線沿いのツーリングだったが、
最後まで僕に力をくれたのは時々投与される鉄分だった。

485系と113系、時折583系や、EF81を先頭とした鉄分が投与された。
だからか、逢坂山を過ぎて京阪京津線から離れてから淀までの長かったこと。

ついに最後まで雨が止むことなく3月28日17時半ごろ、宇治川と木津川の連続橋、
御幸橋まで帰ってきた。
最後の鉄分はやはり京阪電車。雨の中で輝きを放つ樟葉駅の姿に、

「こんな樟葉駅を見るのも初めてかな」とつぶやく。
奇しくも、行き帰り同じ言葉を発してしまった。

ついに僕たち5人は解散。18:00頃、自宅に到着した。合計20時間。
うち、降雨時間19時間35分。
身に付けていた雨合羽はズボンが裂けて半ズボンのようになり、びろびろ。
鉄道旅行の味わいとはかなり趣を異にする旅だったが、
この経験がその後の乗り鉄スタイルに大きく影響することになる。

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