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【1988年8月21日】大垣夜行の思い出(ムーンライトながら廃止ニュースで思い出した!)

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鉄道旅行記

1988年8月21日の夜、それは僕が最初で最後の大垣夜行375M体験をした夜だ。この列車、ムーンライトながら号のルーツではあるが、全車指定ではなくいわば「夜の“通勤地獄再現列車”」だった。この快適性とは無縁の列車が今となっては思い出深く、「あの頃は若かったなぁ」という懐古の思いを深める経験だったと言える。

実をいうと、この列車に乗る予定などなかったのだが、北海道ワイド周遊券での旅の終盤にB券を紛失してしまったことに気づき、京都まで帰る運賃を捻出するために新幹線のチケットをキャンセルしてこの大垣夜行に乗ることになったのだ。

いろいろバタバタして高崎線984Mで上野駅に到着したのが22:40。周囲のホームには出発を待つ寝台特急出羽、北陸、あけぼの81号などがホームを賑わせていた。写真撮影もそこそこに、東京駅へと急いだ。大きな輪行袋とリュックサックが肩に食い込む。

山手線に揺られ、大垣夜行に乗り込む前からすでに疲労感たっぷりという、言うなれば30キロくらいを走っているマラソンランナーのような余裕のなさで東京駅に向かった。

長蛇の列とはこういうこと!

僕も大阪で生まれ育った人間だから人混みのすごいところは何度も経験している。しかし、この日見た東京駅10番ホームは、「これが長蛇の列というやつだ!」と言わんばかりだった。ホーム上を埋め尽くすように列がうねうねとうねりながら続いているのである。

僕のようにぎりぎりの時間にやってくるアンポンタンには、だれかが「ここが最後尾です」なんて看板を掲げてくれていなければ、どこに並んでよいかさえわからない状態だったのだ。

さて、そんなふうにごった返した10番線に大垣夜行は入線してきた。はっきりとした記憶はないのだが、結構入線から出発までゆったりとした時間的余裕はなかった気がする。扉が開き、大蛇のような人の波が列車に吸い込まれていく。まだまだホームに人が溢れているというのに座席が埋まり、立ち客が多くなっているのが窓越しに見える。ひえ~!。

扉から中へと人が進むスピードがどんどん鈍くなり、中でおしくらまんじゅうをやっている様子が見え、ようやく「ほぼ最後尾」にいた僕もなんとかデッキには乗り込むことができた。大きな輪行袋に冷ややかな視線をちらほらと浴びながら・・・。

英語わからんっちゅうねん!

さて、大垣夜行という通称の通りこの列車は岐阜県の大垣行きである。日本人ならまだしも、外国人が普通に知っている地名ではないだろう。そんなわけで、私と同様にデッキ部分に立っていた外国人の人が僕にこう尋ねてきた。「●×▽★※~」

つまり、僕には全く聞き取れなかったのだが、そのことを察したその人はゆっくりゆっくりとこう言いなおした。「This・・・train・・・oh・・・NA・GO・YA?」

それなら僕でもわかる! 「Ye~~s!OK!OK!」と言ってにっこり笑って、それ以上話しかけられないように外に目をやった。

そんな僕の後ろで、ビジネスマン風の男性が彼に話しかけ、Where are you from ?」「West Germany」というやり取りが聞こえた。僕は質問は聞き取れなかったものの、返事を聞いて何とか両方を理解した。

ふと振り返ると、緊張と不安が解けたような優しい顔でその外国人の方が、ご自分のトランクケースをポンポンと叩き、「ここに座っていいよ」という合図をしてくれた。クタクタの僕はひとこと「さんきゅう」と言ってありがたく腰掛けさせてもらった。

そんな短いやり取りの末、列車は23:25に発車した。列車の案内放送は一度きり。主要駅の到着時刻をアナウンスしていた。僕は精一杯の親切というかお返しのつもりで「NA・GO・YA・・・・6:09」と、身振りを交えて伝えた。それが彼との最後の会話になった。

うろ覚えの列車移動

身動きとるのも厳しい通勤ラッシュまがいの混雑の中375Mは進んでいく。小田原まではすべての駅に停車していくのだが、誰かが降りる気配はない。それもそのはず、小田原より近い行き先を目指すのなら15分後に東京を出る湘南ライナー9号かさらに後の929M小田原行きもある。なにもこんなところでおしくらまんじゅうをする必要はないのだ。客室内は冷房が効いたおしくらまんじゅうだがデッキはサウナの様である。

だから、この列車に乗っているのはほとんどがもっと遠くに行く人、つまり小田原(1:02)を出るまではこのラッシュが続くというわけだ。1時間半以上どうやってこの状態を乗り切るんだろう?と思っていたが、トランクケースに腰かけたまま「あっ」という間に寝落ちしていたようだ。停車駅ごとに空気の入れ替えをして温度が下がり、走行中上昇しては駅で換気を繰り返しながら、僕が気づいた時には沼津駅到着時のドアが開く瞬間だった。

沼津駅は1:42到着で19分後の2:01に発車する。

身体のあちこちが痛いが、とにかくホームに降り立ち軽い体操をした。周りにも同じことしている人が何人もいた。ふとのどの渇きを覚え、自販機でジュースを買って腰に手を当てて一気に飲み干した。これもやはり周りで同じ姿がたくさん見られ、思わず吹き出した。おそらくこの駅では夜な夜なこんな光景が見られるのだろう。

さてデッキに戻ると、あふれかえっていたはずの乗客は熱海あたりでたくさん降りたのか、適度に人の姿が消えて地面にお尻をついて座り込めるくらいの余裕はあった。運動会を終えて校長先生の長い話を聞くために体操座りをする子どものように、持っていた紙袋を敷いて座った。まるで戦後の長距離列車だ。例の外国人さんも座り込み、すっかり眠り込んでいる。お礼は夜が明けてから言おうかな。

ワ~~~プ!

扉が閉まり再び列車は動き出した。みるみるうちに温度がまた上がっていくのを肌で感じつつも、扉のガタガタ揺れる音を子守歌にして眠った。

「浜松についたらまた体操するかな・・・」

そう思ったはずだったが、次に目覚めたのは大垣到着直前の車内放送でだった。お礼を言いたかった外国人さんも名古屋で降りたのだろう。その姿はもうなかった。

6:57。 列車は定刻通り大垣駅に到着した。あの長蛇の列に絶句したのもつかの間、あっけなく375Mの旅は終わりを迎えた。あとはのんびり京都へ向かうのみ。いわゆる大垣ダッシュをするわけでもなく、のんびり移動し「次の列車がすいていたら乗ろうかな」と、そんな思いでホームを移動した。

 

※ 画像提供:KOGANETURBO様。本文とは関係ありません。

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