まずはクイズです。
次の列車名の共通点は何でしょうか
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「銀河」「すばる」「明星」「あかつき」「彗星」「月光」「金星」
関西~九州の寝台特急ではありませんよ。
ヒント:銀河が最後まで残りました。そして銀河以外はすべて同時期でした。
これでオールドファンならお分かりになることでしょう。
答えは「東京~大阪の寝台急行だったことがある」でした。
なぜこの話題を出したかといいますと、これらは時代が違えば銀河1~14号で良かったんじゃないか?と思うからです。
列車名に付く番号は2通りあった
日本初の新幹線が開業してから半世紀以上が経過し、同じ区間に何十往復も列車が優等設定される区間が各地に存在するのが当たり前になっている現代、列車一本一本に別の愛称を付けるなどということは非現実的この上ないことですが、かつてはそんな時代もあったようですね。
それでも、その同じ時代にすでに番号付きの愛称の列車もありました。しかも、ややこしいことに2通りの附番方法があったのです。「第1つばめ」といった番号が先に来るもの、と「東海3号」といった後に番号が来るものです。
現在使われているのが「○○_号」という形なので、「第1○○」という呼び方が古いのか?と思いがちですが、意外にも先に登場した番号付き愛称は「○○_号」の方だったようで、1957年のことです。
一方で翌年の1958年10月には「第1こだま」「第2こだま」が登場していますから登場時期に大きな差はないと言えますし、しかも共存していたということがわかります。
「第1」と「1号」には使い分けがあったのか?
結論から言いますと、原則的には使い分けがあったものの、地方ごとに異なったりして徹底していなかったということのようです。
【原則】特急・急行・指定席を連結する準急は「第1○○」方式。全車自由席の準急が「○○1号」方式。
だったようですが、すべて「第1○○」方式だった北海道や九州、定期列車の名前に「○○2号」として臨時列車を走らせるケースなど、まちまちの対応で例外だらけだったようですね。
ヨンサントオでついに「第1」も「1号」に変更
ヨンサントオ、つまり1968年10月ダイヤ改正はこの点で大きな転機になりました。ついに共通の附番方法に統一されたのです。
膨れ上がった愛称数
この直前の状態はというと、特急の愛称が38種、急行はなんと302種、準急(急行共存を除く)が15種ということで、新幹線のひかり号とこだま号を合わせて357種類の愛称が存在し、もはや覚えることも難しくなっていました。
おそらく、今だったら「サンダーバード1号のきっぷが取れなかったらサンダーバード3号、5号のきっぷを取ろう」となるところが、「え~っと、銀河のきっぷが取れなかったら次の列車は・・・何だっけ?」となってしまうのです。
打ち出された方針とは
その状態が一気に改善されたのがヨンサントオ改正でした。ここではっきり示された方針はだいたい次のようなものです。
1・運行経路や運転区間別で極力集約した愛称とすること。
2・特急と急行は別愛称とすること。
3・特急は夜行と昼行で同じ愛称を使わないが、急行は同愛称を使う。
4・番号は「○○_号」方式で、上下とも発車順に通し番号。(季節列車を含む)。
5・臨時列車は51番から始まる通し番号とすること。
6・列車名は発音しやすく、他の列車と間違えにくいもの。
こうして、現在みられる「 号」方式になりました。
ただし、現在と異なることがあります。
それは通し番号だということです。
下りが奇数・上りが偶数に変更
ヨンサントオ改正からちょうど10年経過したゴーサントオ改正で、私たちが今なじみ深く使っている附番方式が実現しました。
下り列車は奇数番号で上り列車は偶数番号になったのです。例えば、当時の時刻表で特急あさま号が20号まであるのを確認すれば、「あさま号は1日に20本、10往復走っているんだな」という思考パターンで、今とほぼ同じですね。
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こうして振り返ると鉄道ヒストリーは本当に面白いです。原則と実情が違っていたり、その中でベストな答えを見つけていく過程であったり・・・。歴史調査、やめられませんね~。
愛称と番号のこぼればなし
かつてはほとんどの列車が上下ほぼ同じ本数で運転されていましたが、通勤需要ということを考慮して設定される特急の場合はそうはいかないケースが増えてきました。
そんなことが顕著に表れている特急の一つが特急はちおうじ号です。2022年のダイヤ改正で下り1本が減らされますが、現時点では下りが5本・上りが2本と、かなり不均衡になっています。
もっとすごかったのがJR四国の特急あしずり号です。何と、9号まで(つまり下り5本)ありながら上り列車は1本もなかった時代があったのです(2001/3~2003/10)。そうかと思えばその後は下り4本が廃止され、下り1本のみになりながら「あしずり1号」と、番号が付されたままの設定となり、しかもエル特急として走ったのです。
これには理由があり、JR四国では高知での系統分離や通し運転によって列車名が変更される形が取られていて、その時代ごとの需要に合わせて調整する中でこうしたことが起きていたようなのです。
これもJR各社の考え方や方針を垣間見ることが出来ることの一つですね。
今回はこのくらいで失礼します。