やがて福知山城が見え、列車もスピードを落とした。
これで僕は福知山駅に来るのが4回目となる。
そしてさらに、この合宿から帰ると1987年版隠岐旅行があり、
帰りの際にはまたこのルートを通ることになっている。
何だかずいぶん馴染みの駅になってきた。
福知山駅を出てからしばらくはぼんやり車窓を眺めていた。
しかし、そんな僕を一気に目ざめさせるイベントが近づいていた。
まもなく園部駅に到着する。
いくらか陽が翳り始めた園部駅。
到着寸前のところで車内放送が聞こえた。
「当列車は園部駅で増結いたします。連結作業のためしばらくお待ち下さい」
ここまでわずか2両編成で走ってきたこの列車が4両に増結するのだ。
連結シーンが見られる!
ボーっと待っている場合じゃない!と、喜び勇んでドアを飛び出した。
京都方面から2両がやってくるのかと思ったが、2両はすでにそこにいた。
というわけで、シャッターチャンスは意外に短いことをすぐに悟った。
そろりそろり・・・・・「カチャン」
全部で4両となり、堂々とした「列車」となった。
こうしてワクワクする連結作業のひとときを味わい、園部駅を出た。
列車が亀山に着く頃には、さらに太陽が傾いいてきた。
保津川沿いを走るころ、川向こうの山々が輝いて非常に美しかった。
今は嵯峨野観光鉄道のトロッコでしか見られない風景。
普段通る山陰本線から見られなくなったのは寂しいが、
よくぞ営業路線として残しておいてくれたものだと思う。
二条駅で見る西の空に太陽が今にも沈もうとしていた。
わずかながら梅小路蒸気機関車館が見えた。
東海道本線の線路群に吸収されるようにして京都駅に向かった。
そしてそのまま左端の方へポイントを渡り渡り進んでいった。
1番線の延長部分、山陰線ホームが視界にとらえられたこの時、
ついにこの合宿旅行も終わりを迎えようとしていた。
僕たちはボチボチ列車を降りる準備を始めた。
乗降デッキにくくりつけておいた輪行袋を手早くほどき、
肩紐をかけようとしたその時、「痛っ!・・・」 絶叫の瞬間だった。
昨日の海水浴による日焼けの肌に食い込む肩紐に、言葉にできない激痛だった。
少しでも痛みを和らげるため、紐を握った右手が肩の所に来るようにし、
部品を包んでいたプチプチシートを肩に当て、痛みをこらえて自転車を運んだ。
そして左手にはその他の荷物。
これまでの人生で、最も痛い思いをした日焼けであった。
山陰本線ホームは京都駅の1番線の西側部分、跨線橋まで行くのも遠い。
しかしそこから階段を上り、跨線橋を歩いて奈良線の8番ホーム(逆の端)へ!
そこまで歩くのが遠く長く感じたこと。
数多くの鉄道旅行者の波にのまれ、立ち止まることもできず歩き続けた。
そして階段を下る時の、肩への食い込みが・・・。
その様子を見ながらS西先生がポツリと言った。
「やっぱり山の方が良かったんとちゃう?」
・・・・この痛みのさなかでは返す言葉もなかったが、
早くも来年の「山VS海」攻防が起こることが容易に想像でき、
翌年のための対策をその場で考え始めてしまった。
奈良線のホームにはすでに105系電車が停まっていた。
味わい深さでは気動車にかなわないが、ローカル鉄道。
わずか一駅だが、この路線を利用することによって、いつも切符をGETできる。
今回も初めての青春18きっぷを手放さずにすんだ。
さて、こうして東福寺駅で京阪電車に乗り換えたが、
その地下通路を下る時、そして上る時も・・・。痛い。
鈍行のまま、急行に乗り換えることもなく樟葉駅へ。
とにかく荷物を肩に掛けたくなかったからだ。
帰りは自由解散のため、牧野駅まで乗る部員もいたため車内で別れを告げ、
僕らは樟葉駅で降りた。