鉄道旅行記

【1988年8月17日】釧路駅で急行まりもを延々と待つ時間。

1988年の釧路駅

次の予定まで7時間!

釧路湿原から戻ってきたのがまだ日中、日が高い午後3時半。
次の予定としてはっきり定まっているのは22:28発の札幌行き、急行まりも号に乗ること。
つまり、7時間もの時間を何らかの形で過ごさなければならないのである。

さぁ、どうすれば有意義に時間を過ごすことが出来るだろうか?

ところで、「慣れ」というものは恐ろしいもので、駆け抜けるように予定をこなしていたここ数日の間は風呂に入ることもなく過ごし、ほとんど気にすることもなかった。
むしろ、夜に13度や9度なんていう気温が続いていたのだから、風呂に入ったりしていたら間違いなく風邪をひいていたに違いない。

しかし、ここでとんでもなく大きな時間の枠が目の前にあるのである。
そう思うと、無性に「風呂に入りたい!」という欲求が湧き上がってきた。
そこで、駅員さんに尋ねてみることにした。

「この辺りに銭湯はありますか?」
「せん・・と・・う?」
「あ、お風呂屋さんです。」

そう、ぼくは北海道に来てからというもの、言葉のニュアンスが通じていないかな?と思ったらすぐに別の言葉で言いかえるスキルを身に着けたように思う。
とにかく、駅員さんはわかったような顔になり、教えてくださった。
でも、とっても不思議なことをおっしゃった。
「入口を出て、右に行ったところの建物で、外の非常階段から3階まで上ったら風呂に入れますよ。表から入ったら500円だから、裏から入るんですよ」

一週間ぶりの風呂で身も心もスッキリ

「?????」 「どんなお風呂屋さんなんだろう?」
と、頭を疑問符だらけにしながら非常階段を上って行った。
筋肉痛でパンパンになった太ももにはかなりきつかった。

とにもかくにも、裏口入店して店に入るといたって普通のお風呂屋さんで、230円という破格の料金で入ることが出来た。ただ、シャンプーやせっけんの備え付けがないので別途購入するかどうか尋ねられた。
貧乏学生の僕は断って中へ。すると今度はコインロッカーで50円かかるとのこと。
それで戸をあけて浴室内を見てみると1人しかいないので、ロッカーに鍵をかけずに使用することにした。
北海道ワイド周遊券なども入っているポーチがあったことを考えるとちょっと大胆すぎるが、そこが若気の至りである。

さて、中に入って石鹸もシャンプーもなくお湯をかけて洗うだけの僕を見て、そこにいたおじさんが「シャンプー使う?」と尋ねてくださった。おぉ、なんとありがたい! そうして掌にシャンプーをとって、「あ、なくなった・・・」。すごい気まずかったが、嵐のようにお礼を浴びせてその場を過ごした。

十分温まって、すっきりした僕は体を拭き、昨晩重ね着した中の一枚のTシャツを着て、ジャージを羽織って身支度した。ただ一つ、ドライヤーだけは50円を出して頭を乾かした。

急行まりも出発まであと5時間半!

さて、この1時間半はなかなか有意義に過ごせた時間だったが、それでもまだ残る5時間半をどうやって過ごそうか。

まずは駅前を散策することにした。
砂糖だけで作ったという手作り飴のお店があり、その素朴さはかなり魅力的だった。でも財布のひもは緩まず、結局通り過ぎた。

次に向かったのは「釧路ステーションデパート」。いろいろなものを見て回った。その中で、ブルートレインはやぶさその他のヘッドマークのデザインのZIPPOライターがあるのに目が留まった。かっこいいなぁと思ったが、使い道があるわけでもなく、1000円という金額もまったく僕の経済力の範囲にかすりもしなかったので結局通り過ぎた。

夕方、17:30。そろそろ空腹が僕を襲い始める。最初のうちは我慢していたが、そろそろ耐えられなくなってきた頃、ステーションビル2階にある料理店街に歩を進めた。そして、まるで相見積もりをとる業者の様に「ラーメンの値段」を見比べながら店を回った。550円、「高い!」。500円、「まだ高い!」。450円、「もう一声!」

そうして430円でラーメンを食べられるお店を見つけてそこで食べることにした。このお店は大当たりで、安さもさることながらなかなかおいしい塩ラーメンを出してくれた。ここのメニューには「ざんき」というものがあった。鶏のから揚げである。四国出身の友人がその名をよく口にしていたのだが、北海道に来てメニューに載っているのを見るとは思いもしなかった。

ちょうどいい時間つぶしはプロ野球中継だ!

もう日が暮れた18時以降、さすがにすることがなくて待合室でボーっとして過ごしていた。
現代ならスマホをいじっていればある程度の時間はつぶれてくれるのだろうが、そんな物は想像すらできなかった時代。

しかしそこに願ってもないコンテンツが!
そう。プロ野球中継が始まったのである。
ぼくの好きだった阪神タイガースの試合でないのは当然のこと。
もはやそんなことはどうでもよく、少しでもエキサイトした気持ちで時間をつぶせることで十分満足だった。

残すところ1時間!

プロ野球がゲームセットで中継が終わり、21時を回るとあと1時間ほどで改札が始まる時刻となる。

1988年の釧路駅ここで、急に名残惜しくなってくるというのもおかしな話だが、でも「やり残したことはないかな?」なんて気持ちになるから不思議だ。今更ながらあわてて釧路駅の全景をカメラに収めておこうと、慌てて外に出る。

「お~、よつ葉牛乳の大きな看板、すごいなぁ」。それに触発されてか、またもう一本よつ葉4.2牛乳をゴクリ。待合室に戻る途中、ミスタードーナツのテナントの前で商品をチラッと見てみるとひとつ150円もするんだと知り、びっくり。関西人の割にミスドの店に入ったことがなかったのだ。

さて、いよいよ改札開始時間目前になった。自由席を利用する人たちは50~60人ほど、ずらっと並んでいた。その中に、知っているお顔が! あの、長岡京からやってきたという人たち、深夜の音威子府駅と、朝の網走駅でも出会ったあの人たちだった。

「あ、また会いましたね~。」

ところで、帰りの北斗星の切符はまだ取れていなかった。ここまでもう10回以上のキャンセル待ち問い合わせをしてきたが、やはり青森発の寝台特急を利用することになるのだろうか。この駅でもダメもとでみどりの窓口へ。やはり撃沈した。

急行まりもに乗る!

急行まりもチケット改札が始まり、自由席利用の人たちが流れのようにホームに進んでいく。僕は急行利尻に乗った日以来の「まともに寝られる」日を迎え、B寝台に向かう。車内で飲むためのスポーツドリンクだけ調達し、乗り込んだ車両で腰を据えた。

寝台に腰かけて、もう立ち上がるでもなく出発の時を待った。

気が付くと「ガクン」と動きだし、ゆったりとゆったりと進み始めた。いつになったらスピードが上がるのかなと思っていたら新富士駅に到着。運転停車となった。それは下りおおぞら11号との交換のためだった。8両編成の明るい室内灯が流れていくのをしっかりと見送った後、まぶたがす~っと下がって・・・・。

「これから深夜時間帯となりますので明朝まで車内放送はお休みいたします」・・・と、聞いたはずなのに、「次は~」と聞こえてきた。え?何で?と思ったら、「終点札幌です」というではないか。

急行まりもは豊平川を渡っているところだった。

あまりにもびっくりしてすっかり目が覚め、あわてて荷物を整えた。もっとも、乗った時のままの姿だったので身支度を整える必要はなかった。

急行まりも・札幌到着朝の6:52。急行まりも号は定刻に札幌駅に到着した。

 

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