鉄道旅行記

【1988年8月16日】登って登って駆け下りて~知床峠~

知床峠手前から望むオホーツク海

乙女の涙バス停から15kmの上り坂

とてもロマンチックな名前のバス停の前で、僕は覚悟を決めた。
別に誰か乙女のためにではなく、目の前の大きな壁の様な知床峠を越えるというチャレンジのためだ。

このバス停付近には結構何人もの人が輪行袋を広げて、自転車をせっせと組み立てていた。
輪行袋を持った人たちが同じバスにたくさん乗っていた印象はなかったが、最前列だったから気付かなかったのだろうか。
とにもかくにも、組み立てなければ出発もできないということで、輪行袋を開封して僕も部品をチェックして組み立て開始。

ここまで何とかやってきた5.5ミリのアーレンキーもここでは出番がなかった。
というのも、周りで同じように組み立てている人に借りれば済むからだ。助かる~。

僕がそのために声をかけた人は同年代の人だったのでなおさら頼みやすかった。
「あ、こんにちは。輪行ですよね。どこから来はったんですか。」
そう声をかけると、その人は僕の大阪弁アクセントに目を丸くしながら
「大阪ですわ。」
おぉ~、なおさら頼みやすいやんか~! ということですかさず頼み込み、軽く締めたボルト類をすべて増し締めした。

深く礼を述べて、僕はその人に別れを告げ、出発した。
ものすごい勢いで登りはじめたが、「知床峠 15㎞」という看板の文字を見て、我に返り、落ち着きを取り戻してペースを落とした。

実際、この落としたペースさえも保つのがたいへんな上り坂が待っていた。
「知床峠 15㎞  羅臼30㎞」という案内看板でわかる通り、
峠の向こうまで行くだけでも30㎞の距離、そこからさらに標津までの40㎞を超える行程。

しかもその始まりの15㎞は延々と続く上り坂、標高738mなのである。

夏真っ盛りの知床峠はライダーたちの目指す場所でもあったようで、たくさんのライダーたちが僕を追い越していくし、すれ違いもする。
すれ違うライダーたちはねぎらいの気持ちからか、手を振って行ってくれる。
中にはVサインや投げキッスをする人、仮面ライダーの変身ポーズをする人など、かわった人もいたのだが、「次はどんな人が来るのか?」が少し楽しみになった。

時折、思い出したようにポツリポツリと自転車の人ともすれ違い、ホッとしたりする。

ところで、この長い長い上り坂にもキロ数を示す標識が立っていた。
ずいぶん登ったつもりの場所に4kmの標識が見えてきた。

そして、もう少し行くと【270】という数字が書かれていた。
それは想像した通り標高を示す表示だった。
つまり、738mのうちの270m上ったということだ。

ここで、「まだ3分の1か~」と思うと落胆するので、あえて「もう3分の1をこえたぜ」と思いを必死で切り替えて奮起するようにした。

余談だが、ここまでの僕の服装は、昨夜の野宿の寒さの余韻を引きずってGパンにジャージの上着だった。
バスも決して暑くなかったからだが、さすがに暑くなってきたので脱ぐことにした。

Gパン⇒短パン、ジャージ⇒Tシャツ とかなりの軽装になったが、背負っているリュックは満杯であり首から下げたカメラバッグも服など入らないため、仕方なくジャージは首に結び付けることにした。
Gパンに至ってはリュックに足の部分を結びつけてヒラヒラとなびかせる異様な姿となった。

こうして、引き続き知床峠を目指して上り続けていったが、気温はその後もどんどん上昇し、汗をかいては蒸発するような炎天下となった。

さぁ、どれくらいのぼっただろう。
そろそろ標高が書いた標識が出てこないかなぁ。
そう思った僕の視線の先に看板・・・・

・・・・・・

「スピード落とせ」
って、これ以上落としたら倒れるよ!

そんなツッコミを入れた直後、本物の標高標識が現れた。
【380】

先ほどより100mほど上ったようだ。
自分の予想よりは20mくらい少なかったのだが、必死で積極的な思考の計算を試みた。
そうそう、知床峠までの半分の高さまではやってきたんだ!
そう考えると、少し元気づいた。

それでも、この上りのきつさは半端でなく、標高標識を探しながら進むような精神状態で、えっちらおっちら上って行った。

さて、標高380mの標識は見つけたが、距離にするとどれくらいなのだろうか。
ここまで「6㎞」の看板までしか確認できていない。
つまり、15kmのうちの半分に達していなかったのだが、そのあとどれくらい進んだだろう?

「う~ん、標識を見落としたのかなぁ。」
そんなことを考えながらギーコ、ギーコと進んでいくと、7㎞標識が現れた。

その瞬間、とにかく「距離も半分までは早くたどり着きたい!」という思いが沸いて僕はペダルに一層の力を込めた。

やっぱり、精神力って大事だ。そう思えるほど、この瞬間からしばらくは足がよく回った。
左カーブ、右カーブと何度方向を変えたかわからないが、そんな道をあっという間に1km進んだらしく、8kmの標識は意外なほど早かった。

でも、次の標高標識がなかなか現れないことに再び力が落ち始め、なかなか9kmは現れなかった。
でもやがてカーブを曲がった後の直線の先に標高標識を見つけた。

自分の感覚の中では、「480mくらいまで来たかな」と思っていたが、その標識には「500」という数字が! 「おぉ~、20m得した!」

そう思ったのだが異常に視力がいい僕の場合(スピードの遅さもあり)、その標識が見えてから実際にその地点にたどり着くまでに1分半もかかった。
つまり、さっき自分がいた地点はおそらく予想通りの480m位だったのだろう。

さて、ここから僕はペースを上げもせず、無心で上っていく作戦に出た。
だんだん後ろから追い越す自動車の数が多くなってきたなぁなんて思ったその時、眼下にオホーツク海が見えてきた!
知床峠手前から望むオホーツク海
考えてみるとこの峠を越えたらもう見ることができないこのオホーツクをしっかり目に焼き付けておかないと! と思い、僕はちょっと自転車を止めて休憩がてら写真を撮ることにした。そしてもちろん自分のこの目にもしっかり焼き付けた。

こうしてもう一度息を吹き返した僕だったが、それでも知床峠の残り半分は長い。
あと5kmと少しの道のりをまだまだ上り続けていく。

オホーツク海を眺められる絶景ポイントでの休憩を終え、再び走り出したらすぐに10㎞の表示を見つけた。
やはり、「どこまで進んだか」がわかると元気が湧きあがってくる。

知床峠まであと5km!

僕はここでこの峠での3回目のハイペースな走りに挑んだ。
今回が一番長続きしたと思われるが、11㎞の表示までペースを保った。

あと4km・・・「ここでペースダウンか~」と思った矢先、目の前に駐車場の「P」のサインが見えた。

そして、カーブを曲がったところには!

「知床峠へようこそ!」
という看板があるではないか。

そして、広がる駐車スペース、賑わう露店、群がる人々・・・。
そう、ついに知床峠に到達したのだ。

正直言って何が起こったのだろう?という感じだった。
なにしろ、15㎞という意識が頭を支配していたので、自分の中では3~4kmも得してしまった気分、いや、まだ疑っている気分。
そんな不思議な気持ちのまま休憩することになった。
ここまで1時間40分ほど。大変なスローペースである。

僕はまず喉の渇きをいやしたい一心で露店に向かった。
ポカリスエットが150円というのはこの当時の価格にして5割増しと高価だったが飲まずにはいられなかったので購入、即消費、即吸収?。

同じ露店にはとうきび焼きのおいしそうな匂いが漂っていたが、この時の僕は「胃が受け付けない」状態だったのでスルー。

そして休憩もほどほどに、出発することにした。
一路ふもとの街・羅臼を目指す。

下りは上りの6倍のスピードで

標高738mの知床峠。
その頂点までやってきた感動もほどほどに、僕はふもとの街「羅臼」を目指した。

上ってくるのに1時間半以上かかったが、「下りはどれくらいで下れるのだろう?」そんなことを思いながら、勢いよく出発した。

「下って下ってくだりまくるぞ~」
そう思って快調にペダルをこいだが、見えてきたのは上り。

え?
どういうことかと不思議に思いつつも、ペースは落とさないようこぎ続けた。
そして、また下りはじめたが・・・・えぇ?
なんと、また上り。
今度はちょっと心が折れそうになりながらも、何とか上りきった。

そうして始まったくだりは再び上ることのない、正真正銘の下りだった。
このあたりでビッグスニーカー号というラッピングバスを追い越した。

ここからのスピードは自分でも「気持ち良さ」と「恐怖心」の中間のような感覚だった。
上りの時には恨めしくさえ思ったバイクのライダーたちにも手を振りかえす余裕があるかと思えば、突然現れる橋の上の強い風にドキッとする瞬間があり、スピードは常時60~70㎞/hくらいでどんどん下って行った。

なにしろ、1分かからずして距離のキロ表示が出てくる感覚をずっと継続できるなんて生まれて初めて。
橋の上からチラッと海が見えたところを最後に、だんだん標高が低くなって気温が上がっていくのが肌で感じられ、日差しも強くなってきた。

27kmという表示が見えてきた後、羅臼温泉観光協会という文字が目に入ったが、そのあたりからは下りも緩やかで、慣性のままに下れる状況ではなくなった。

最後の3㎞ほどは、何とか時速30㎞を保つよう踏ん張り、羅臼の市街地に入った。
こうしてついに下りきり、知床峠の横断道路のサイクリングを終えることができた。

羅臼!

15㎞の道を15分で走る。そんな体験は後にも先にもこの1回きりだ。
僕はここでようやくジュースを買った。キリンメッツ、グレープフルーツだ。今度は通常価格、100円。
それを飲みながらトロトロ走り、電話ボックスの前で自転車を止めた。

そこから部活の後輩の「とおる君」に電話をした。

これと言って理由があってしたわけではないが、「羅臼」という地名が僕らにとってちょっとなじみ深かったから。
それというのも、同じ部活の先輩がデパートの北海道展に行ってもらってきた(買ってきた?)ポスターが羅臼の宣伝ポスターで、先輩の部屋の天井にドドーンとはられていたのだ。

と、ただそれだけのことだが、「羅臼に着いたで!」 と言いたくて仕方なかったのだ。
僕らにとっての「羅臼」は昆布でもなければ北方領土関連でもなく、先輩の部屋の天井だったのである。

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