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【1988年8月15日】稚内から急行天北の旅

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鉄道旅行記

列車は南へ・・・

すべての列車が南に向かう駅、日本最北端の稚内駅。

当時は南下するルートが宗谷本線以外にも存在した。
浜頓別を通る東寄りルート、天北線だ。実は、元・宗谷本線。
もっと遡ると、すでに廃線なっていた羽幌線もあった。

僕が乗った急行天北はその名が示す通り、天北線経由。
音威子府駅で宗谷本線と合流することになる。

僕がこの旅で急行天北号を選んだのは(時間の都合も良かったが)
ひとつでも多くの路線の風景を自分の目で見ておきたいと思っていたからだ。

天北線はちょうどこの日の朝、宗谷岬へと自転車で走った道路と並走する。
まさにその国道238号線が見え、海が見えてきた。
そうして、先ほど飲んだリボンナポリンを買った場所、声問。
急行天北はどんどん先を急ぐように声問駅を通過していく。

声問駅から先、海沿いではなく大きく右に切れ込むようにしてカーブし、
山間の路線となり、夏の日差しの下で鮮やかな緑の中を駆け抜けた。

それからしばらくして、僕は急行天北の特筆すべき特徴を知った。

B寝台!

この急行天北に、昨夜の音威子府駅で出会った長岡京の鉄っちゃんが乗っていた。

彼は僕を見かけて声をかけてきて、
「自分も天北に乗っとったんかぁ。ちょっと来てみぃ、こっちの席おもろいで。」
そう言われてついて行ってみると、B寝台車両に案内された。

指定券を取るつもりがなかったためすっかりチェックし忘れていたのだが、
この急行天北はちょうど昨夜の急行利尻の折り返し編成のためB寝台車がある。
そしてその車両を普通に座席として使うことができるのだ。

「へぇ、おもろいやん」 そう言って少しの間それを楽しんだ。
ただ、座席においてきた荷物のことも気になったので一旦座席へ戻ることにした。

僕の旅行の未成線

さて、ここから先の旅行行程はどうしようか。

実際のところ、この時点で決まっていることはただひとつ、
17日の夜に釧路駅から急行まりも号に乗るということだけなのだ。
言ってみれば、旅行行程には未成線があるような感じだった。

というわけで道内時刻表を取り出し、天北線の車窓も楽しみつつも、
この後のスケジュール選定が始まった。

●このまま急行天北で旭川まで行って石北本線経由で道東を目指すか・・・

●名寄駅で降りて名寄本線の鈍行の旅を楽しむか・・・。

次の停車駅は鬼志別駅だ。旭川にしても名寄にしてもまだまだ時間はある。
急行天北号は稚内駅を6分遅れで出発したものの、鬼志別駅を目指して快走。
夏真っ盛りの天北線をどんどん進んでいった。

8月17日(2日後)の急行まりも札幌行きに乗るまでの時間をどう過ごすか。
確実にそれに乗れるように釧路に到着していなければならないので、
逆算しながらおのずと計画の方向性は絞られてくる。

まず決まったのが16日の朝9:16網走発の627Dに乗ることだ。
そうすればウトロへのバスへの接続、そしてその夜に根室まで到達できる。

次は、その網走までのルートと時間配分だ。
ぜひ実行したいことの一つは自転車でサロマ湖の湖畔を走ること。
でも明日の計画を考えると、ちょっとでも時間の余裕が欲しい。

そうなると、ルートは2つ。
●旭川⇒遠軽⇒中湧別。(オホーツク使用20時着?or急行大雪使用翌朝午前5時着?)
●名寄⇒名寄本線⇒中湧別。(野宿するか、夜の走行?)

良い睡眠を考えると急行大雪案だが、
遠軽駅で鈍行に乗継ぎ、中湧別に着いてから網走までタイムリミット4時間。
輪行袋をほどいて組立て、約80キロくらいありそうな道のり。
このリミットはあまりにも危険だ。パンクでもしたら即アウト!

そうこう考えて出した結論は、名寄本線経由
野宿か夜間自転車走行かは状況次第で。

この無謀にも思える決定が数々の思い出深いシーンを演出することになるとは、
この時にはまだ知るよしもなかった。

未成線はつながった。安堵のひととき。

道内時刻表の上をあちこちと巡りながら今後の行程を決定した後、
気持ちをすっかり楽にして急行天北の車窓を楽しむことができた。

鬼志別駅から猿払駅まで進んでいくと再びオホーツク海沿いの路線となる。
次の停車駅浜頓別まで海沿いを進む。

浜頓別駅ではわずか1分停車なので下車は出来ない。
しかしこの時点で6分の遅れはかなり取り戻していた。

そういえば、「・・頓別」という名前の駅がたくさんある天北線。
この後にも下頓別、中頓別、上頓別、小頓別と続く。

天北線の旅は2時間半以上とは思えない程あっという間に過ぎていった。
音威子府駅に到着。ここからは天北線が終わり、宗谷本線となる。
ここは、急行利尻で下車休憩した駅。
2度目の風景とはいえ昨夜は深夜だったので、全く初めての景色の様。

さて、僕は名寄本線に乗るため名寄で降りるので、あと1時間ほどだ。
この急行天北での停車駅もあと美深だけということだ。
楽しい時間は過ぎるのが早い。
窓の外の景色はさすがに北海道だ!というほど、サイロが建っている。

急行天北でのおまけの時間

ところで、美深駅につくまでの間、もう一度道内時刻表を確認したところ、
名寄駅で降りて次の名寄本線の列車を待つなら、1時間半待ちだとわかった。
というわけで、もう一つ先の士別駅まで行って見ることにした。

急行天北での時間が少し増えて得したような気がした。
15時34分、ついに急行天北は名寄駅に到着した。
稚内駅での6分の遅延時間はあっという間に取り戻し、定刻通り。

ここでは停車時間が10分ある。それは機関車交換を行うからだ。
DD51に牽かれて南下してきた急行天北だが、ここはまだ非電化区間。
「いったいどんな機関車に交代するんだろう?」と見ていると・・・
やってきたのは同じ形式、DD51だった。まぁそれ以外考えられないが。

というわけで同形式同士の交代だが、付け替えのシーンは何度見ても楽しい。

僕はこのシーンを見終わって、自転車の輪行袋を駅のホーム屋根の柱に結び、
ちょっと身軽になって再び急行天北に乗り込んだ。

自分の足ともいえる自転車を駅のホームに置いてきぼりにするなんて、
ちょっと大胆すぎるかもしれないが、ここなら大丈夫だろうという思いが
このときには僕の思いを支配していた。

15時44分。

機関車のたすきリレーを終えた列車はフレッシュな雰囲気で出発し始めた。
急行天北は名寄駅を出発し士別駅へ向かい始めた。

CCF20100401_00012昨日の夜は真っ暗な闇、しかも仮眠中だった士別までの“未知”の風景、
広々とした農地、そしてポツポツと建つサイロ、
いかにも北海道という景色をのんびりした気持ちで眺めて楽しんだ。

わずか20分ほどの士別までの旅はあっという間に終わった。
この度は輪行袋をほどく必要もないのでゆっくりと降りる準備をしたのだが、
1分停車というのは思いのほか短い。

北海道でのんびり癖がついてきたからか、下車した後すぐドアが閉じた。

そして、ちょうど隣のホームに停まっている名寄行き快速えんれいに乗車し、
今通ってきたばかりの鉄路を戻っていった。

さっきとは逆の車窓を楽しんだところ、遅咲きの菜の花かと思われる
鮮やかな黄色い花々がまばゆく輝いて揺れていた。
北の大地の夏、爽やかな風、サイロ・・・。心地よさそのもの。
そんな快速えんれい号の旅は短くも楽しかった。

16時26分。名寄駅到着。

輪行袋がそのままホーム屋根の柱に結んであるのを確認して改札口を出た。
そして僕はさらに約50分間の列車待ちの時間つぶしを始めた。

次に乗る列車は名寄本線の鈍行629D、17:15発である。

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