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【1988年8月15日】最北の地をロードレーサーで走る

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鉄道旅行記

「流氷と~けて~」

長い長い夜が明けて到着した日本最北端の駅、宗谷本線稚内駅。
ダ・カーポの「宗谷岬」のメロディーを僕も口ずさみながら、周遊券を手に改札を抜けた。
もちろんここでも下車印を押してもらった。

午前6時だというのに人であふれたコンコース。
その端の方の一角にコインロッカールームが目に入る。

ここでふと考えた。宗谷岬往復の約65キロ、荷物を全部背負って走るのか・・・。
さんざん迷ったが、ここはロッカー代を節約することに。

稚内駅そうして駅構内を出て右側に回り、駅前ロータリーの端っこの方で、
輪行袋をほどいてロードレーサーを組み立てることにした。

周囲には同じように輪行袋を肩に掛けている人たちや
すでに袋をたたんで出発の準備をしているが何人もいて、
輪行マニアの多くが目指す土地だということをあらためて感じた。

愛車・エンペラー・ロードレーサーはフロントディレイラー(変速機)が
いまいち調子よくなかったのだが、とりあえず動きそうだ。
こうして組み立てが終わり、輪行袋をクルクルたたみ、収納してハンドルに固定。

荷物を肩からかけて稚内駅前を出発した。
ここからは自分の足で歩を進める、厳しい旅になる(しかも寝不足)。

稚内駅から宗谷岬へ!

6時半をちょっと回っていよいよ出発だ。
軽やかなペダルさばきで、左に宗谷本線の線路を見ながら一旦南下する。

国道238号線を走り、約4キロほどは市街地が続いている。
南稚内駅を過ぎて大きな自動車屋さんがある三叉路で抜海・羽幌などの
日本海沿岸方向への道と分かれる。

僕が目指すのは東向き、オホーツク海沿岸方向。(と書くと壮大な印象だ)
ほんの少し進んだだけで、道路沿いには建物がまばらにしかない景色になった。
ひたすら両側に広がる原っぱ。そしてその向こうに見える海。これぞ北海道。

さて、国道沿いには1キロごとに距離を示す大きな看板が立っている。
だから僕は1キロ2分のペースで刻み続けていくことに決めた。

この国道238号線は網走を基点としているので、網走からの距離が示されている。
僕がまず目指す一つ目の集落は声問。
天北線の駅としては宇遠内駅の次の、2つ目の駅が声問駅だ。

地図を片手に持ちながら結構速いペースでロードレーサーは進む。
「まずは声問川をわたるはずだ」 しかしなかなか出てこない。
「知らないうちに過ぎたのかな」・・・「過ぎたんだろう」・・・「過ぎたに違いない」
そう思っていると「声問川」の看板が出てきた。

ずいぶん走ったつもりだったが一つ目の集落まで結構時間がかかった。
肩からかけていた荷物の重みのせいか、又は広がる広大な景色ゆえか、
この先に果てしなく長い距離が待っているように感じてしまった。

それでも「進み続ければいつか着く」が自分のモットーであり、
たとえペースが落ちても前へ前へと進んで行こうと気を取り直し、前進した。
そして国道沿いにお店などが目立ち始め、声問の集落に入った。

天北線の声問駅を示す看板が僕を待っててくれたように思えた。
最初のうちなかなかペースがつかめず、予想外に進んでいないことに気付く僕。

それでも、天北線の声問駅の看板を見て位置を特定できた僕は、
このペースじゃあかん! と、奮起してスピードをあげた。
おかげで距離標識の1キロ1キロが1分55秒程で過ぎていった。

く、くうこう?

その後、稚内空港が見えたが、薄紫やピンクの花が咲く草原の空港。

これまでにも米子空港をはじめ、いくつかの地方空港を見てきたが、
ここまで「草原の真ん中」・「自然いっぱいしかない」空港は初めてだ。

その空港が後ろに去ってもその草原が長く長く続いていた。
左の方を見渡すと快晴の空と青い海がただただ続いていた。

僕は相変わらず左手に地図を持ったままハイペースで自転車をこいでおり、
地図が示している「メグマ原生花園」という所に到達するのを目標にしていた。
でも、先ほどから何ら変わらない景色が続き、お花畑が現われる気配はない。

ただ、少し先にバス停らしきものがあることだけわかった。
だんだんそこに近づく。見てみると・・・・

「原生花園」。

なるほど。
ここまで見てきた景色すべてが原生花園だったのかもしれない。

ちょっと一息。アンバサ・メロン

さて、しばらく進むと富磯という集落に入った。
走り始めてずいぶん経過しており、涼しい風の中とはいえ喉が渇いてきた。

僕はコカ・コーラの自販機に近づき、初めて見るジュースに注目。
「アンバサ・メロン」
関西にはアンバサが出回っていなかったが、アンバサという名前は知っていた。

友人が田舎に帰省した時に飲んで「めっちゃうまかった!」と言っていたからだ。
しかし、ここで見たのはその友人も知らない、メロン味のアンバサなのだ。
これはぜひとも飲まなければと、よ~くよ~く味わって飲み干した。

再び宗谷岬目指して走り出した僕だが、
このあたりは漁協、灯台、漁船、うみねこ・・・そんなイメージばかりが残る集落。
この富磯地区から道路はどんどん北に向きを変えた。

その後、ロードレーサー乗りには非常に過酷な状況が突然思いがけず訪れた。
それは道路工事による砂利道で、200mほどにわたって続いていた。
スピードは先ほどまでの30km/hから一気に10分の一くらいに落ちた。

チューブラータイヤを浪費することだけは避けたかったので、
パンクだけはしないようにと慎重に慎重にそこを乗り切った。

その難関を突破し、再び快調に飛ばし始めた。
「宗谷」という表示が見えてちょっと喜びかけたが、手に持った地図を見て確認。
案の定、宗谷岬まではまだ距離がある「宗谷」という集落。
予想通りということで、気を取り直して走り続けた。

さらに進むと清浜町という表示が出ていた。
予定のペースからそれほど遅れていないことを確認してさらに元気が回復する。

「間宮林蔵渡航の地」

やがて、誰かの立像が見えてきた。これはもしや・・・。
ということで、自転車を止めて近づくと、「間宮林蔵渡航の地」ということで、
石碑と共に間宮林蔵さんの像が誇らしげに立っていた。

(でも、現在ここには立っていないらしい。
宗谷岬の日本最北端の地の碑の周辺のどこかに間宮林蔵立像があるそうだが、
移設されたのか別物なのかよくわからない)

僕は思わず北の方角、海の向こうに目をやった。
樺太が見えないかと思ったのだが、見えなかった。 我ながら単純な行動だ。
その地から自転車で走って数分。

宗谷岬灯台を見上げるそこで右側の高台に変な形をした赤い灯台が見えてきた。
180度光が回転する様なものじゃなく、前方だけしか照らせない様な、変な灯台。と、思ったまさにその変な灯台が目指していた地、宗谷岬灯台だった。

稚内駅を出て約1時間半。午前8時前に日本最北端の地に到着した。
そうして僕は、旅行者のデフォルト・パターン、「日本最北端の地」碑の前での記念撮影をした。

でもこれは僕の意思というより、見知らぬ人の記念撮影依頼を引き受けた
お返しとして撮影してもらったものである。

ほんのわずかの宗谷岬滞在

宗谷岬到着。筆者。この後の予定は、帰りの列車「急行天北」が稚内駅を出発する時刻が基準。
稚内駅出発が11時53分だから、残りのタイムリミットは約4時間である。

ここ、宗谷岬から稚内駅までかかる時間が1時間半として、残りが2時間半。
というわけで、余裕は十分にあるからまず日本最北端の土産物屋「柏屋」へ行ってみた。

中に入って、すぐに目に付いたものがあった。
それは、「日本最北端の地 到着証明書、発行します」という表示。ただし100円。

ただの証明書に100円とはぼろい商売だ!と思いながらも、
「ここでしか手に入らない・・・」というありがちなプレミアム感と、
「証明書と言えば住民票だって100円じゃ手に入らない」という、
よくわからない比較とが僕の心をとらえてしまった。

というわけで、100円出してその日本最北端の地到達証明書を購入。
まぁ、それなりにしっかりした証明書で、ちょっと満足。
しっかり、到着日付と証明の朱印まで押してあって、いい感じではあった。

このお店では他にもステッカーや巾着袋も購入した。

次に目に留まったもの、それはスタンプだったが試しに押してみた。
するとそこには「日本最北端の郵便局に投函しました」と書かれていた。
おそらく、はがきを出す人が使うスタンプだったのだろう。
自分のスタンプ帖に押す内容ではないことに気づいた時には遅かった・・・。

ふたたび32kmのサイクリング

こうして、しばしの休憩を最北の地で楽しんだ僕は宗谷岬を後にし、
来たばかりの道をたどって稚内に戻る道を走り始めた。

帰りのスタートは追い風。エンペラー・ロードレーサーをどんどん飛ばして走れた。
なにしろ3分と少しで3km進んだのだから時速60㎞近いスピードだ。

でもほどなくして、あの難関の場所にやってきた。
先ほどの砂利道である。
砂利道に阻まれトロトロと通り過ぎたため、結局平均30㎞/hほどで帰路を進んだ。
ウミネコたちが群がる港湾を横目に見ながら、しっかりと30km/hを保つ。

ところで、北海道と言えばちょっと変わった地名が随所に見られるが、
この国道238号上にもちょっと面白い名前の橋がかかっていた。

追久間内橋(おいくまないばし)
正確なところは全くわからないのだが、妄想が膨らむ名前だ。
『その昔、追い詰められて窮地にたった熊さんが・・・』てなお話しか?。

ユニークな名前の橋や川をいくつか通って僕は自転車を走らせた。
先ほど来たばかりの道をどんどん戻る。
そして、原野にある稚内空港を横目に見て走り、ようやく声問集落に戻ってきた。

あらためて、ちょっと一息

僕はそこでついに自転車を止め、ちょっと喉の渇きを癒すことにした。

目に入ったジュースの自販機はリボンシトロンのものだった。
関西方面ではメジャーではないジュースだったが、
キャラクターのリボンちゃんの絵ですぐに見分けがつく自販機だ。

僕の思いは一直線にリボンシトロンへと向かっていた・・・はずだったのだが、
ふと、その隣にあるリボンナポリンというジュースがやけに気になりはじめた。
数秒迷った挙句、リボンシトロンを裏切ってしまった。

さて、序盤から中盤こそ時速30キロを保って走っていた僕だったが、
海沿いで風が強い中ではこのスピードを保つのはたいへん!

そう気付き、稚内駅までは流すように進んでいった。
南稚内駅が近づいてきた頃、踏切が鳴り、天北線のディーゼルカーが一両、
終点稚内へと向かって走っていくのが見え、続いて僕も到着した。

もう一つの岬へ

さて、帰りの急行天北号が出発するまでまだ2時間もある。
それで、もうひとつの岬「ノシャップ岬」の先端まで行ってみることに。

稚内駅から片道4km。自転車で10分ほどの北西方向の先端にある岬。
僕は道路上の案内表示にしたがってノシャップ岬へどんどん進んでいった。

途中、僕は何台もの路線バスとすれ違い、夏の時期の北海道の観光客の
多さにただただ驚くばかりだった。

信用金庫との戦い

ところでその道中、僕は財布の中身を補充すべく、稚内信用金庫に立ち寄った。
世間知らずな高校生の僕は都市銀行・地方銀行・信用金庫の違いを知らず、
住友銀行くずは支店のキャッシュカードでATMへ。

すると「オトリアツカイデキナクナリマシタ」という紙が一枚出てきた。
この表現が理解をややこしくした。
なにしろ、「できなくなった」のではなく、最初から無理なお取引なのだ。

それが理解できず、僕は3度も試してしまったのだ・・・。
わびしく3枚同じ紙を手にして信金を後にした。

ノシャップ岬へのハードル

稚内信用金庫ATMで無駄な(笑)時間を過ごした後、気を取り直して出発!
と思った直後に、北海道に来て最初のパンクが起こってしまった。

稚内灯台とわが愛車ロードレーサーはこういう時に便利だ。
なぜならチューブラータイヤだから、リムからタイヤをベリベリとはがし取り、リムセメントを塗って交換用のタイヤをはめ、空気を入れるだけ。
もちろん、予備タイヤをいつでも持参していることは欠かせない。

こうして思いがけずダブルパンチのタイムロスがあったが、4キロはやはり短く、すぐに赤と白の縞々の灯台が見えてきた。ノシャップ岬灯台だ。
でも、行ってみて気づいたが正式名称はノシャップ岬灯台ではなくて、
稚内灯台だった。そして言うまでもなく無人の灯台である。

時計に目をやるとまだ10時20分。まだまだ十分に時間がある。
そう思った矢先、ほんの近くにある看板に目がとまった。

ノシャップ寒流水族館

そこには「ノシャップ寒流水族館」と書かれていた。
何だか特別な感じ、ここでしか見られないようなワクワク感が僕を襲い、
急に興味が沸いてきて、そこに入ってみることにした。

アザラシとペンギンが仲良く暮らす姿。
小さい水槽にいるウーパールーパー。

僕の時間的猶予から言えば最も適した時間つぶしになった。
ただ、ネーミングから感じたドキドキ感はすっかり忘れてしまうほど普通だった。

そろそろ稚内駅へ・・・

退館した時、時計は11時を回った(40分しかいなかったのか!)。
急行天北号の出発時刻は11:53だからそろそろ戻ったほうがいい。

もしも二度目のパンクなんて事態になったら大変なことだから・・・。
走り出すとノシャップ岬の灯台が少しずつ後ろに遠ざかっていく。
僕は自転車を軽くこいでついさきほど来た道を戻っていった。

稚内駅前に着いたとき、残り時間は30分ほど残っていた。
それで、北海道拓殖銀行(なつかしい響きだ・・・)のATMへ。

ここでなんとかお金を引き出すことができて懐を暖めて稚内駅へ向かった。

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