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【1988年8月14日】急行利尻で向かう日本最北端の駅

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鉄道旅行記

無事に乗車して動き出した急行利尻号。
夜汽車の旅はボチボチ進む。
最初の停車駅「江別」までは21kmで定刻通りだと19分。
平均速度66.3km/hだから客車急行らしいのんびりした旅だ。

江別、そして岩見沢

22時16分。急行利尻号は定刻通りに江別駅に到着した。
この江別駅はけっして大きな駅ではなく、
この旅が始まる前までは知らなかったがもう忘れはしない。

それは数日前、小樽に行くのに間違えて乗ってしまいそうになった列車の行先だ。
どうでもいいことだが、「ここが江別かぁ」とあらためてみつめた。

江別駅を出て約15分後、さらに北上して岩見沢駅に到着。
駅舎側からは遠いホームに急行利尻号は停車した。
岩見沢では停車時間が長くないためスタンプは諦め、ゆっくり駅構内を眺めた。

全体を水銀灯か何かの青白い光が包むような幻想的な駅だった。
そして前方の信号の赤い光がブルーの車体に反射して綺麗。

その信号がやがて青に変わり、程なくして列車は走り出した。

少しは仮眠もとらないと・・・

ここ岩見沢を出て旭川駅までは1時間半くらいかかる。
美唄、砂川、滝川、深川と、停車駅はあるのだが短時間停車なので
ちょっと仮眠をとるには最適の時間帯だと思い、寝ることにした。
「まぁ、先日特急オホーツク特急ライラックで通り過ぎたし・・・」

この急行利尻が稚内駅に到着するのは6時頃だ。
「自転車行動が多い一日だから休まないと・・・」 という思いと
「夜汽車を満喫したい」 と思う気持ちが戦う一夜。

結局起きたり寝たりを繰り返していくのである。

最初の長時間停車~旭川駅~

僕はこの時間帯に意外なほどしっかり熟睡できて、アラームの音で起きた。

日付が 8月15日に替わる直前の23時59分。旭川駅に到着した。
扉が折り戸ではなく引き戸であることに少々違和感を覚えつつ、開くのを待った。
急行利尻の停車時間は21分。
0時20分まで余裕があるからちょっと改札を出てみよう。

まずはお決まりの下車印を周遊券に押してもらい、駅のスタンプもGET。

まだまだ深夜というわけではなく、大勢の乗客がここで下車した。
最終のライラックより1時間ほど遅く札幌を出るこの列車は
ホームライナー代わりに利用する人たちにも人気があるようだ。

もっとも、その意味では札幌~旭川間の最終列車は急行大雪だが。
(補足:それらの利用者向けに特急スーパーカムイが現在でも設定されている)

この休憩時間、自販機で飲み物を買ったり体操したりと、思い思いの行動をとる。
僕は発車時間が近づくまでベンチに腰掛けて駅舎天井を見上げた。

やがて0時15分になり、あと5分なので列車に戻ることにした。
ここでふと気付いたのは、この「5分」に対する感じ方が変わってきたこと。

例えば特急白鳥号での新潟駅停車時などはバタバタ走ってスタンプを探した。
それが、この北海道では5分をのんびり余裕を持って過ごしているのだ。

北海道の雄大さの為せるわざか?又は急行ののんびり感によるものなのか?
そんなことを思いながら自分の寝台に寝転び、道内時刻表を眺めた。

そうしているうちにようやく列車は動き出し、旭川駅を出た。
少し距離がある富良野線のホームに車両が見えた。さようなら。

そういえば・・・先日の旭川駅では行き帰り2回ともバタバタの汗だくだった。
3度目にしてゆっくり旭川駅ですごすことができて良かった。

次はどこで起きようか。~仮眠その2~

さて、次の停車駅は和寒。まだ40分以上ある。

この和寒駅か次の士別駅では「自分で目が覚めたら」起きてみよう。
でもその次の名寄駅では長時間停車だからちょっと降りてみたい。
というわけで名寄駅到着にあわせてアラームをセット。

少し自分の寝台で仮眠をとることにした。

案の定、自分で起きられるはずもなく和寒と士別を通過、アラームでお目覚め。
名寄駅を目前にしてスピードを落として走っていた。
1時47分。急行利尻は静かに静かに、明るく照らされたホームに滑り込んだ。

すると隣りのホームにもライトをつけたDD51に牽かれた列車が停車していた。
そう、上りの札幌行き急行利尻号とここでご対面なのである。

上りの利尻号はすでに15分以上休憩済みなので、もう間もなく発車だ。

奇行に出てしまった・・・~深夜の名寄駅~

こちらの列車の停車時間は26分間。 旭川駅以上に余裕がある。
僕は列車を降りてここ名寄駅でも改札を出てみることにした。
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僕は下車印を押してもらってここでもスタンプ帖にボンッ。

そして何を思ったか、僕は名寄駅から前方に延びる通りを歩き出した。
少し先に大通りがあり、こんな時間でも車がまばらに行き交うのが見える。

その辺りまで歩いてみて、「こんな街なのかぁ。」と、一言残して引き返してきた。
(それだけでわかるような街のわけはないのだが。)

さて、その道から駅に引き返す途中、僕はあるものに吸い寄せられるように
目が向いてしまい、それに釘付けになってしまった。

それはLOTTEアイスの自販機だった。
意外と蒸し暑い夜だった気候のせいもあるが、理由はもうひとつ。
僕の大好きなアイス「雪見だいふく」があったからなのだ。

「よし、いっちょ買うていこかぁ」と、ジーンズのポケットから財布を取り出した。

いくら小銭が入っているかな?と開けてビックリ。
そこにはたったの73円

「しゃぁないなぁ、ほな千円札崩すか・・・。・・・・・あ。

自販機を見たら硬貨しか使えない
こうして呆然としているところに、見知らぬ一人のおじさんが近づいてきた。

恐らく同じ列車に乗っていたと思われる人で、名寄までの利用者だろう。
とはいえ、車内で顔を合わせたわけでもない。
しかし、その人に近づいて僕は言った。

「あのぉ、すみません。ちょっとお願いがあるんですけど」

「はぁ、何ですか。」

「千円札を両替してもらえませんか。どうしてもアイスが食べたくて」

「あぁ、じゃぁちょっと見てみようか?それにしても君、面白い人だねぇ。
こんな夜中に両替するの初めてだよ。それに、私そんなに小銭持ちに見えた?」

こんなやり取りの末無事に両替していただき、雪見だいふくを買えた。
確かに、こんな夜中に両替・・・初めてに違いない。

そんなことをしているうちに時間は15分以上経過していた。
上りの急行利尻はとっくの昔に発車しており、乗客も戻り始めている。
僕は大切な雪見だいふくを片手に、小銭だらけの財布をもう片手に
急行利尻の自分の寝台に向かった。

名寄駅前で見知らぬおじさんに頼んだ深夜の両替。
思い出深い場所になった。
そして手にしたアイス。久し振りに食べた雪見だいふくは最高!

急行利尻はさらに北を目指す

自分の寝台に腰掛けて壁にもたれ、時刻表をパラパラめくりつつほおばった。
さて、深夜2:13。急行利尻は名寄駅を出発し、さらに北を目指す。

次の停車駅は美深駅。名寄から23分で到着する予定だ。
短い時間だから起きていようと、またも通路の補助イスに座り外を見る。

単線のレールの上。この真っ暗闇の中では左カーブの時しか見えるものがない。
とはいえ、僕は2号車だから後ろから二番目の車両。
この列車自体の窓の明かりと、DD51が照らす線路の先が幻想的に映る。

美深駅

しかし、そうしているうちに濃い霧のような状態になってきた。
景色がよくわからないほどのもやの中、次の停車駅である美深駅に到着した。

停車時間は3分と、ちょっと中途半端だが少しでも味わおう。
下車印を押してもらおうと思ったが、ここは無人駅なので残念。

霧深い美深駅のホームでは裸電球が煌々と光っていた。
その黄色い光に照らされてだんだん霧雨が落ちはじめた。
先程よりもちょっと粒状になったかもしれない。

ここ美深駅は、かつて美幸線の起点だった駅だ。
美深から北見枝幸を目指して計画されたが、随分手前の仁宇布駅を終点とし、
建設が中断され、目的果たせずに廃止された路線だ・・・。

という意味の説明が書かれた看板を発見し、物思いにふけってしまった。
そうしているうちに出発の時が来た。やはり3分はあっという間だ。

美深駅からまた約30分で音威子府駅に到着する。
天北線との分岐点となる駅だ。15分停車するので下車することも可能だ。
到着するまでまたちょっと仮眠。アラームをセットして少し眠ろう。

美深駅を出ると、列車の窓に少し雨が打ち付けるのが見えた。
「明日は自転車の日やのになぁ。大丈夫かなぁ」
そう思いながらほんの少し眠り、気が付くとアラームが鳴る直前。
急行利尻はもうすでにスピードを落とし始めていた。

音威子府駅と関西人

気がつくと、先ほどまで降っていた雨は再びただの霧になっていて、
真っ白に煙る音威子府駅に列車は到着した。

この駅では15分の停車時間があるのでちょっと降りてみる。
ここでも下車印を押してもらい、改札を出た。

ここは大きなトーテムポールがあることで知られているようだ。
スタンプにもそのことが織り込まれていた。

そんなスタンプを押していると、同年代の鉄っちゃんが後ろにいる事に気付いた。
思わず、「周遊券で旅行ですか?」 と尋ねた。

するとその鉄っちゃんは予想通りの北海道ワイド周遊券だっただけでなく
出発地も僕とすぐ近く、京都府長岡京市だということがわかった。
「ほんまですか?。ほな、川向ですやん。」などと会話がはずむ。
でもこの人とこの後も何度か出会うことになるとは思いもしなかった。

音威子府駅での15分はあっという間に過ぎていった。
この街のほとんどの人が寝静まっており、急行利尻は出発する時間だ。
僕は、「もうそろそろ寝な、明日自転車こげなくなるなぁ。」と思い、
ついにまともに寝ることにした。

とうとうやってきた最北の地・稚内

ガクン!と、大きめの揺れを感じて目が覚めた。
「どこまで来たんやろ?」と寝台からちょっと身を乗り出すと外は明るい。

そして、どこかの駅を通過しているのがわかった。

得意の動体視力で駅名標を見ると「南稚内」。アラームがなった記憶さえない。
なんと、終点のひとつ手前の駅だった。

乗客の多くはもう降りる準備をして通路を進んでいる。
慌てて僕も降りる準備を始めたが、輪行袋に向かう通路は人でいっぱいだった。
当然だ。ほとんどの乗客がここ稚内に向かい、ここで皆降りるのだから。

仕方なく僕はみんなが降りるのを待ってからデッキに向かった。
そしてガランとした客車内で必死で輪行袋をほどき、
ようやくホームに降りることができた。

稚内駅のホームには「ダ・カーポ」の名曲「宗谷岬」が流れていて、
本当にここまで来たんだなぁとあらためて感じた。

そして僕も「流氷溶けて~」と口ずさみながら改札へと向かった。

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