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【1987年8月】山陰の旅、そして様変わりした急行だいせん

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先頭に立つDD51の汽笛が鳴り、米子駅に滑り込んだ急行だいせん。
ホームにも、車内の通路にもたくさんの乗客の姿がある。

この駅からは、ようやく快速扱いで指定席が有効になるからか、
座席を立ち上がる人が非常に多かった。
満員状態の列車が幾らか静けさを取り戻すのだろうか?

列車が止まりかけた頃、改札のところにどこかで見た顔の人が・・・・
「あ、板倉君だ!」
驚いたことに、隠岐の島・布施村で一緒に過ごした板倉君が来てくれたのだ。

どうやら僕の帰りの列車を「隠岐の親友」に尋ねて確認までとっていたらしい。
僕は急いで駆け降りた。
「うわぁ、来てくれたん?」
「そうそう。ここは急行が長く停まるし、一緒にラーメン食べに行こうよ」
そう言って、駅を出て右の方にいった所の店に僕を案内してくれた。

まだひと月も経っていない、隠岐での思い出話に花を咲かせ、
おごってくれたラーメンを並んですすりながら20分程の時を過ごした。

あぁ、あっという間にお別れのときが来たなぁ。
思いがけず会えた友との再度の別れに予想外の寂しさを感じながら
急行だいせんに乗り込み、出発時間をカウントダウンした。

こういうときに12系客車はすごくいい。
ちょっと遠慮がちにではあるが、窓を開けて最後の瞬間まで言葉を交わす。
「なにかプレゼントできる物ないかな」 とカバンの中を探ったが、
見つかったものといえば駅でもらった青春18きっぷチラシくらい。
僕はそれに小さくサインして窓から手渡した。「これ、あげる」
最も鉄道旅行らしいアイテムだったかもしれない。
青春18きっぷ-1987

急行だいせんの窓のすぐ外で青春18きっぷのチラシを受け取る板倉君。
当然ながら、「よくわかんないけどありがとう」と言ってちょっとにっこりした。

あのチラシは今どうなっているかな。まだ持っていたらすごいことだ。

こうしてDD51の響きが聞こえ、急行だいせん号は出発。
あぁ、思い出の米子駅。そしてひと夏の友、板倉君。
僕の高校2年の夏の思い出、ありがとう。

車内にはふたたび倉吉までの快速運転の利用客がたくさんいて、
通路を埋めるほどいっぱいに立っていた。
なんだかちょっと、昔の疎開列車のような雰囲気もあると感じたが、
学生の自分がこうして座れているのだからそれも違うかな?
なんて、色々考えながら倉吉駅までの鉄道旅行を楽しんだ。

まもなく正真正銘の急行だいせん号になる快速列車。
米子から東側の区間においては、実質的に終電的存在なので
日付が変わる前の倉吉駅に到着するまでは大混雑列車だ。

でも僕は座席で左の車窓を眺めて鉄道旅行最後の夜を楽しんでいた。
赤碕駅を過ぎたあたりから海の向こうに漁火が見える。
日本海の水平線というイメージどおりの感じがある。

だが、線路は徐々に内陸に入り、海は視界から消えた。
やがて線路が響く天神川鉄橋を渡り、速度を落とし倉吉駅に到着。

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