ー=◆ 総合索引はこちら ◆=ー

【1987年8月】山陰の旅、そして様変わりした急行だいせん

・スポンサーリンク・

山陰本線・出雲市駅。14:12。
DD51に牽かれて旧客編成の426列車がやってきた。
僕は客車列車に乗るとき、お気に入りの場所があり、できればそこに乗る。
それは編成全体の出来るだけ後ろの方だ。

なぜならそこは機関車からのエンジン音はほんの少ししか聞こえず、
車輪が線路の継ぎ目を通る際のリズミカルな響きが心地よくて
「コトンコトン・・・・・コトンコトン・・・・・」と
軽やかに聞こえる客車ならではの鉄道旅行が好きだからだ。

短い区間ではあったが、その喜びを味わいつつ松江駅に向かった。
でも、せっかくきた場所をただ乗り鉄で通過するのももったいない気がした。

時刻表をぱらぱらとめくりながら「どこか田舎の駅で降りてみようかな」
と、ふと思い立った。

とはいえ、そうし始めた時点で来待駅を過ぎ、
玉造温泉駅はちょっと田舎っぽくないしなぁ、ということで残された一つ、
乃木駅で降りることに決めた。

名残惜しい気持ちもありながら旧型客車の列車を降りてホームに立った。
ローカル線の田舎の駅に降りてみたいとの思いで、ふと降りてみた乃木駅。

しかしそこは、松江駅の西隣りの駅、決して田舎の駅ではなかった。
とはいえ、この駅にはこの駅の味わいぶかさがあった。
郊外の住宅地の駅で、街路樹が美しい通りが駅前に見える、
素敵な街の駅だったのだ。

本当に何気なく降りただけだったのだが、
こうしてちょっと下車して初めて感じられる街の風景を
ちょっと味わう時間も悪くないな。と、
そんな思いがした時間だった。

そして、降りてみるまで全然知らなかったことなのだが、
この乃木駅は日本で初めて女性駅長が誕生した駅として知る人ぞ知る駅。
駅構内には、ちゃんとそのことを記念するスタンプも設置されていた。

こうして1時間ちょっとの時間を過ごしてから、次の列車256Dを迎えた。
わずか一駅だが、先ほどとは違う「ディーゼル車のエンジン音」を聞き、
ローカル列車の旅をまた楽しむことが出来た。

松江駅に停車した256D列車は11分間の休息をとる。
いかにも時間にとらわれないローカル線らしい鉄道旅行の光景だ。

その間、僕は列車から降りて、列車を見送る準備をしていた。

何度となく目に付く自販機の二十世紀梨ドリンクに興味は沸きながらも、
この際も手が伸びることはないまま、時間が過ぎていった。
列車の扉が閉まり、エンジンが回転数を上げると松江を出発した。
見送った僕は階段を降りて改札を出た。
そしてまた、自転車を組み立てて藤田さん家に戻った。

松江の藤田さんのお宅で、この旅行中最後の夕食をご馳走になり、
僕は荷物をまとめて最後の帰り支度を整えていった。
今夜の宿泊場所はもちろん急行だいせん。去年のような号数はない。
昨年は6号だったが、今は昼行が全廃、夜行一往復だけになったのだ。

そして昨年乗った、高天井で、ちょっとリッチ気分の20系客車も
もう置き換えられて、座席車は12系急行型客車に変更された。
ちょっと昔のヒーローから、分相応の車両に代わったというわけだ。
一方、寝台車両の方はブルートレインの14系寝台。分不相応?

いろいろと変化があった急行だいせん号ではあるが、
僕にとっては、大好きな客車列車で鉄道旅行を楽しめるだけで満足だった。

★この急行だいせん号の詳細補足。
当時の編成は6両で、大阪側から自由席が1両、指定席が2両。
そしてB寝台車が3両という編成だった。
12系客車にはテールマークを掲げる幕がなかったのだが、
内照式の箱のようなものが設けられて、絵入りテールマークが用意された。

そして、列車の始発駅は出雲市駅だが、米子駅までは普通列車、
さらに米子から倉吉駅までは通勤目的で快速列車扱いとなっていた。

そうした理由で、指定券をよくみると松江からではなく米子からの指定席。
つまり、乗車駅である松江駅から米子駅までは自由で快速扱いと同時に
指定席が有効になるということのようだ。

しかし、僕はこの事実に実際に急行だいせん号に乗るまで気付かない。

タイトルとURLをコピーしました