ー=◆ 総合索引はこちら ◆=ー

【1987年8月】2度目の隠岐旅行へGO!

・スポンサーリンク・
鉄道旅行記

6:00発の姫路行き普通電車に乗るため、ホームを移動した。

計画編でも書いたが、この電車は姫路駅に7:28に着き、
乗り継ぎの電車がわずか1分後の7:29に出発してしまう。
不安なのは、このたった1分しかない乗換え時間のことだけ。

あとはのんびり楽しい鈍行の旅だ。

5時54分。いよいよ列車に乗り込み、車掌さんに尋ねた。

「この列車、姫路駅でたった1分の連絡みたいですけど、
姫路からの列車は、向かいのホームからの出発ですか?」

「あぁ、それがですねぇ、跨線橋を渡らんなあかんのですよ」

予想外の一言にギョッとしながらも続く言葉に安心した。

「それでもね、大体待っててくれますんで大丈夫ですわぁ。
それと、この車両やったらちょうど階段の目の前に停まりますんで、
このあたりに居てはったらええと思いますよ。」

不安が払拭されたわけではないが、概ね安心。

同時に、車掌さんの言葉も乗客の言葉も旅が進むごとにどんどん変わっていく、
鉄道旅行の醍醐味だよなぁ、なんてふと思ったりした。

そうして電車は走り出し、ひんやりした風を受けて加速していった。
午前6時。大阪の街もそろそろ目を覚まし、動き出す頃だ。
この当時まだ全盛期だった、緑色とオレンジの湘南カラーの113系電車だ。

昨年の夏に夜行急行だいせん5号に乗った時には夜の暗闇の中、
まだ寝静まらぬ街の灯りだけが見えていた。
でも今年は早朝の日の出をバックに感じ、美しく感じる大阪の風景だった。

淀川鉄橋を渡るとき、軽やかな小気味良いリズムで走行音が響いていく。
塚本を過ぎ、尼崎を過ぎる。

いよいよここからはかなり久し振りに通る路線だ。
(小学生に上がる前に須磨海水浴場まで乗ったらしいのだが記憶は微妙)
福知山線に別れを告げ、電車は西宮へと向かう。
途中、夏の高校野球開幕間近の甲子園のそばをかすめ、どんどん西へ。

三ノ宮駅に到着する時、左上にポートライナーのりばが見えた。
朝の6時25分。もうすっかり動き出している。旅行者ではなく通勤客を乗せて。

そして神戸に着いた。東海道本線の終点で山陽本線の起点の駅。
とはいえ、鉄道の要所というような威厳めいたものは少しも感じられなかった。
唯一感じられそうな「0キロポストをキョロキョロ探してみたが結局みつからず。
鉄道の要所・神戸。旅行者はそんなことには気付かない
そうしてさらに進んでいくと左側にようやく海が見えてきた。

須磨や舞子のあたりは非常に海が近くて、とてもいい景色だ。
時折、山陽電鉄の姿が見えたりもするが、見下ろしてちょっとした優越感を味わう。

明石に着く頃、この街で一番有名なもの、日本標準時の時計塔が見えた。
旅行者の目を引くのはむしろこの大きな時計塔だ

その後まもなく西明石に着いたが、そこには水色の201系の上り列車がいた。
多くの普通電車がこの西明石で折り返しているのだ。
ちなみに、個人的好みではあるが、僕はこの201系が好きだ。

さて、ここ西明石駅は新幹線のホームが在来線ホームの上を横切る形で、
新大阪駅を小さくしたような印象の駅だ。
とはいえ、このときそこに列車の姿はなかった。
西明石を出て大久保、魚住と進んだ頃、大阪駅から1時間が経過した。

午前7時すぎ。残り時間30分足らずで姫路駅に着く。
そこで、ちょっと無謀にも思える決戦の時を迎えることになる。

ついに恐怖の1分間乗り換えを決行するのだ!

列車は加古川駅を過ぎる。ここまで定刻通りに運転している。
残り14分。宝殿を出ると早くも降りる準備を始めた。
刻々とその時が近づいてくる、とにかく扉の近くで待機した。

姫路では一番降り、一番駆け上がり、一番乗りを!と意気込んでいたのだ。
日焼けの痛みもどこへやら。

こうしてカウントダウンが始まった。
7時26分。27分。28分・・・・。あれ、まだ着かない。さっきまで定刻だったのに。

そして列車は1分遅れの7時29分に着いた。えらいこった~。

扉が開く。ダッダッダ~と二段飛ばしに階段を昇り、跨線橋を渡り、
こんどは二段飛ばしに駆け下り、そして列車に飛び乗る。

ページ:1 出発前の大阪駅 2 午前6時。いざ出発! 3 1分の乗り換えは可能か?

4 快晴の伯備線をいく特急やくも1号 5 やっぱりディーゼル王国

タイトルとURLをコピーしました