鉄道旅行記

【1987年8月】2度目の隠岐旅行へGO!

1987年7月29日。
高校2年の鉄道旅行第一弾「天文気象部合宿旅行」の熱も冷めやらぬまま、
第二弾旅行の出発日が、飛ぶようにやってきた。

それはちょうど、竹野町の弁天浜海水浴場で泳いだ時の日焼けが、
僕のひとつひとつの動きに多大なる影響を及ぼしている真っ最中のことである。

去年と同じ様に、今回の旅も大阪駅から乗車する。
それで、大阪市内の城北公園のすぐそばに住む祖母の家に泊まり、
早く就寝し、7月30日朝4時台に起床した。

颯爽とペダルをこぎ、早朝の城北通りを一路西へと自転車で向かった。
荷物を載せるキャリヤなどついていないロードレーサーのため、
スポーツバッグを肩から斜めにかけるしか方法はない。
ヒリヒリ日焼けの肩に食い込むスポーツバッグがうらめしい。

痛みに耐え、痛みに慣れてきた頃に城東貨物線の
ガードをくぐり、ほんの少し車が増えてきた頃、大阪駅にたどり着いた。

午前5時20分。
到着はまだまだ人も車も少なく、あたりもまだ暗さの残る頃だ。

自転車の輪行も、もうかなり慣れてきた。ほんの10分もあれば解体はできる。
それで、バラバラにした自転車を整理して輪行袋に詰めて手で起こし、
窓口まで切符を買いにいこうとした時、激痛が走った!。

気づくと肩の皮がむけ始めていたのだ。
旅はまさにここから始まるのだから痛いのなんのと言っていられない。

そう思って気を取り直し、みどりの窓口へ。
「すみませ~ん。米子までの乗車券下さい」

「乗車券だけでいいの?」

「大丈夫です。岡山からの特急やくも1号の指定券は持ってますんで」
こんなやり取りをして切符を購入でき、ホームに上がることにした。

ゆっくりと上がってみると、ちょうどこの頃開催されていたのか、
天王寺博のPRヘッドマークをつけた205系普通電車がそこにいた。

そういえば、関西地区に205系が配置されたのはこの頃だったかな。
記憶が定かでない。

さて、ここで思いもよらないサプライズがあった。

それは思い出深い一こまとなり、旅の始まりを大いに沸かせてくれるものだった。
旅行に出る日の、いきなりのサプライズとは、ブルートレイン瀬戸号だった。

いったい何の影響かはわからないがずいぶんダイヤが乱れていたらしい。
本来なら瀬戸号は姫路駅着5時19分、岡山駅着6時29分だから、
相生駅から上郡駅あたりまで進んでいるはずの時間だったのだが、
乱れの影響でこの時間に大阪駅に到着したのだ。

かすかに案内放送が聞こえ、その姿が見えてきたその時、
僕は荷物の重さも、皮がむけた肩の痛みも忘れたかのように
3番線ホームに向かって走っていた。

「うわぁ、今回の旅行もなんかめっちゃいいことありそうやわ!」

そんな興奮をいっぱいに感じながら、蒼く輝くブルートレインを写真に収めた。

遅れのためか、先を急ぐように出てゆくブルートレインを最後まで見送り、
時計を見ると時刻はもう5時50分を回っていた。
こちらもゆっくりはしていられない。

ページ:1 出発前の大阪駅 2 午前6時。いざ出発! 3 1分の乗り換えは可能か?

4 快晴の伯備線をいく特急やくも1号 5 やっぱりディーゼル王国

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