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【1986年8月】20系急行だいせんの旅~往路編~

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◆深夜の福知山駅・そして・・・

実際にこの福知山に足を踏み入れたのは初めてなのだが、
大阪駅や京都駅で鉄道写真を撮り回っていた僕に、この地名は馴染み深かった。

なんとなく、「いつか行く場所に違いない」そんな気さえしていた。
そして今日ついにその日が来たというわけだ。

この駅での長時間停車の時間を利用して福知山駅前に出てみたが、
すでに真っ暗になったバス乗り場以外、何も見えない。
まばらに出て行くタクシーが道路を照らしては消えていった。

僕は再び改札を抜けてホームに入った。
そして目の前の1番線にひっそり停まって休息している旧型客車の編成を眺めた。
「この車両、いつまで現役でいてくれるんやろなぁ」 ふと、そんな事をつぶやいた。
室内の灯りは消えて暗くなっていたが、唯一点いているテールランプが綺麗。

そんな彼に僕は「がんばれ~!」とエールを送りながら別れを告げた。
そして、いよいよ急行だいせん5号もしばしの休憩を終えて出発する時間だ。

まだ夜行列車の夜は長い。大阪を出てここまで、まだ半分にも達していない。

福知山までは、非常にゆったりと、静かに走ってきたDD51だったが、
ここからは一転してうなり声を上げるように力強く走り出した。

京都府から兵庫県にはいる県境の峠、夜久野峠だ。
このあたりからは山間の路線であり、勾配も所々きつい区間に入る。
そういえば、中2の冬にこの先のスキー場にスキー合宿に来たっけ。

僕は、初めての輪行の自転車のロープを確認し、確かめてからデッキで外を眺めた。
真っ暗な闇をぼんやり照らす、列車の灯りと、照らされては消えていく夜の景色を。

兵庫県に入り、何も景色が見えるわけではないが夜はどんどん更けてゆく。

さて、この先には関西鉄道ファンに馴染み深いもうひとつの駅、和田山駅がある。
この駅は、大阪を発着して姫路を経由する列車たちが山陰本線に合流する駅なので、
時刻表でたびたび目にする「ポイントになる駅」だからだ。

列車が実際に到着してみると、先ほどの福知山駅よりはるかに静寂!
この静けさを見ると、ついに眠気が襲って・・・・

手荷物のかばんをひざの上に載せて、その上にうつ伏せる。
こうして、急行だいせん5号の旅一日目の夜は記憶のない時間帯に突入。

次に気が付いた時には鳥取も、倉吉までも通り過ぎ、赤碕あたり。
山陰の朝は遅いとは言うものの、夏真っ盛りの8月だ。
すでに明るくなり始めている。

そして左側には雲がかかった大山が見えてきた。
本当に山陰に来たんだなぁとあらためてしみじみと感じた。

そうこうしているうちに米子駅に到着した。
一晩ぶりに見る「電車」は伯備線のものだろうか。
境線のキハ40系単行気動車も留まっている。

いよいよ、だいせん5号もラストスパートに入る。
米子まで来れば残りはもうわずか。

急行だいせんは出雲市行きなので、本来なら終点まで乗っていきたい所だが、
あくまでも僕は今回、フェリーに乗らないといけないので松江で降りることになる。
米子市を駆け抜けて、安来節で有名な安来市に入るとそこは島根県。

そして、もうすぐ松江駅!
勝手にイメージをふくらませてまだ見ぬ松江駅の姿を想像した。
米子駅を見た様な「地上型で広々した敷地の地方都市中心駅」の姿を思い描き、

到着するのを待った。すると・・・・・
その予想は見事に裏切られた!松江駅は高架化工事が完了し、
スマートなコンクリート作りの近代的な駅全体の姿が僕の目に入った。

「うわぁ、なんか京阪電車の樟葉駅みたいや」

比べる相手としてはどうかと思うが、でも正直な気持ち、そんな感じだった。
確かに2階建て構造の2面ホームに4線。同じだ・・・。

寝不足で朝を迎えたわりに、すっきりした頭で急行だいせん5号を降りた。
くくりつけてあった自転車の輪行袋も、確認した時のまま問題なし。

一晩お世話になった20系急行だいせん5号をゆっくり見送り、
名残惜しい気持ちいっぱいで僕は松江駅の階段を降りた。

改札を出た通路のところで早速僕は自転車の組み立て。この作業も実戦では初。
急行だいせんの客が一通り去っていった後は静かな松江駅構内。

僕は落ち着いて、集中して作業できた。
そして完成!形になった自転車にまたがり、僕は走り出した。

颯爽と、くにびき大橋を渡り、島根大学の横を走りぬけた。
さらにペダルをこいでスピードをあげた。島根半島にある七類港を目指して!

続きは・・・

【1986年8月】鉄分よりミネラル・・・隠岐の島の旅

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