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【1985年6月】北陸・信州・木曽路~中3修学旅行~

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中3になり、受験を控えた暗黒時代。
僕にとって、一番鉄道旅行に飢えていた頃だ。

旅行基金が幾らかたまり、どこかに行こうと思えば行けなくもないが、
まだまだ十分な資金と言うほどでもなく、勉強しなさいと言われていた頃だ。

そんな中、唯一の旅行であり誰も文句を言いようがないのが修学旅行だ。
とはいえ、これはバス旅行であり、鉄道旅行ではない。
強いて言えば“鉄道見え隠れ旅行”だ。

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修学旅行1日目

1985年6月のある日。修学旅行初日。
僕たち枚方第三中学3年生は信州・白馬を目指してバスで出発した。

僕は 「いつも心に鉄道を」の精神で出発した。
普通、誰も持たないような大型時刻表をかばんに忍ばせ、バス旅行を楽しんだ。

当然ながら途中までは鉄道などかけらもなく、景色もよく見えない高速道路の旅。
名神高速から北陸自動車道に入り、どんどん北上し、滋賀県、福井県を通過、
そして石川県小松市にある「安宅の関」という史跡で昼食の休憩をとった。

ここはその昔、源義経が・・・・(何したんだろう?)とにかく逸話の残る場所だ。
休息の後再出発したが、まだしばらくはまったく鉄道の気配もない。

バスは途中から高速をおりて一般道の国道8号線を北へ走る。
正しくは、降りたというより未開通だったのだ。

富山県から新潟県に移るわずか手前で、
僕はこの旅行初めての盛り上がりを感じた。
それは、国道と北陸本線の線路が平行して走るあたりからだ。

だんだん駅が見えてきた。駅名は「越中宮崎」。
お得意の流し撮りで駅名標を撮影した。

そこからしばらくはおおむね線路に沿って走る。
親不知、子不知、青海の海岸沿いは、ちょっと恐れを感じる海岸線。
みんな左側の海を見、僕はもちろん右側の線路を夢中で見ていた。
北陸本線の線路上を特急白山が走るのを見たのが最大の盛り上がり。

ちょっと先に糸魚川駅がある交差点を右折し、
国道8号線に別れを告げ、僕らのバスは姫川沿いを今度は南下した。

ここからの国道148号線は大糸線と平行して走る区間だ。
姫川駅が国道の真横にあるはずなのだが、不覚にも見落としてしまった。

しかし、その先の頸城大野駅あたりで、国道に案内看板があり、
自分たちの走る国道と大糸線の位置関係が少し分かった。

その後、山間に入ると線路が自分たちから見てどっちなのかもよくわからないまま、
時々急に線路が隣りに現れたり上を横切ったりしながら上って上って、
「結構高い所まで来たんだろうなぁ」と感じた頃、左に南小谷駅が見えた。

「おぉ~、ここまで来たらもうあと少し。」
と、時刻表を広げながら、大声で「あと二駅!」・・・・「あと一駅」と
みんなのためにカウントダウンをしていた。

そして僕たちの目指す地は「白馬駅」のひとつ手前の「信濃森上駅」。・・・?
いや、駅を目指したのは僕だけ、一行はそこから少し山側の“ロッジつらら”へ。

信州白馬の「ロッヂつらら」は1クラスの生徒が十分に泊まれる宿だった。
クラスのラグビー部員がちょうどここで毎年合宿をしているらしく、
嬉しそうにそのことを話していた。

ところで、この初日の夜はなんと大雨が降った。
明日の予定はどうなるのだろう・・・。

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